禅の本を読んでいて思ったことは、どちらか一方の正しさはどちらかにおいて間違いになるということ。理屈を持って、それを積み重ねて結論を導いていくようなプロセスは”正しい”と思われがち。 ただ、本当は、”正しい”んじゃなくて”好き”なのだということを認めなくちゃならない。正しいという言葉が色んなことをおかしくさせる。音楽においても、絵においても、そういう言葉がでてくる。間違っている音楽、正しい音楽という大人っぽい言葉から離れて、好きな音楽、嫌いな音楽っていう子供の頃に使っていた言葉をもう一度使わなければならない。

未だに自分はアートワークを政治に結びつけた方が良いのか、そこから離れているからこそ良いのかわからずにいる。でも、自分がやっていることを好きであればそのどちらでも良いんだろうな。選挙フェスとかぶちかましてたからか知らんけど適当に政治のこと歌ってる駅前の人が非常に格好悪い。俺のことを見てくれえと叫んでいる人の方が断然格好良いじゃないか。つまりは、自分の気持ちに正直に真摯にやっていくっていう当たり前の所に考えが戻る。嘘ついてるんじゃないかという作ったものは、響かない。それは歌詞が同じでも、色が同じでも、メロディが同じでも、構図が同じでも。正直にやっていこうっと。それだけだなぁ。