言葉化

荒木さんが社会は自然を参考にしたものと言っていて、それがなんとなくひっかかっていた。 今日は紙に言葉をいろいろ書いた。「有機的」っていうのが実際のところ何なのか気になり、調べもした。そうすると、「有機体」というワードに辿り着いた。

”生命現象をもっている個体,つまり生物。有機体においては各部分が互いに関係をもつとともに全体との間に内面的な必然的連関をもち,単なる部分の寄せ集めではない一つの統一体をつくる。広義には,こうした有機体の本質に類比させて社会・国家・民族をもいう。”

良く、理解できてないけどすごいなー。 もしかすると、人間の作り方が、社会の作り方ってことなのかもしれん。 全体との間に内面的な必然的連関をもち、 というのはよくわからない。

人間が細胞で「人間」本体が社会とも言えるか。 その中にはヤンキーみたいな細胞もいる。優秀な青年、年寄り、可愛い子、そんなてんでバラバラな細胞が集まると人間になる。何か一色に染めることはできないんだなー。
たまに凹む要因にもつながる気がする。 信じたいものがあった時に、疑いがついてくるのだ。逆も然り、軽蔑すべきだと頭では思っていても頭以外のどこかで理解を示していたりとか。 そんな時、というかいつもそうなのだが、、 振りきれなさというか、戻らないと決めた所にどう足掻いても戻ってしまうことに腹がたったりしはじめるともう止まらなくなってしまう。 しかしながらそれが自然っていうものなのかもしれない。 ただただ自然になってる人という。 かなり、喜怒哀楽は生理みたいなところある。何見ても嬉しく持って行ける時と、ナイーブになっていく時があるもん。 そんな自然の中で何か残す手段を持てていることを感謝しなくては。明日には全然感謝してないかもしれないけど。
iphoneに入ってるGEZANの「凸」ってアルバム思い出す。 風が気持ちいいね という歌と、ぶっ殺せ っていう歌が同居しているアルバムだ。 さっきと言ってること違うじゃんというのが自然体っていうものだ。 like a女心、like a政治家、like a時代

誰でも、振れ幅の大きな少年だったのが、青年と呼ばれるにつれて小さくなっていくけれど、未だに大きく、むしろ更に大きくなってしまっている感じが気になる。恥ずかしげもなく日記をかいてる