棲家

棲家を一ヶ月以内に探さねばならない為、めぼしい所に電話したが入居不可とのこと。くそぅ。
暮らしというものについて考えている気持ちの余裕があまりない。客観的に見ればそこが一番大切なのだが。一気に10年位経ったら良いのにという風に初めて思った。要は時間の問題なのだ。僕は必ず続けていくし継続した時間があれば必ず望んだ星に着陸する まだやっている期間が短いというシチュエーションは悲しいな。ただしこの先10年を不味くても味わい続けることが大切なこととなる。阿部さんにあなたはまだ途中でしょと言われたことを思い出す。 永遠に途中だけれどまだまだ途中の途中ですな! 信じることより信じないことの方が簡単な中で希望みたいなものにかけて暮らしている人と話すことは刺激になる。僕もそういうカタリストになりたい。

生活 というのは生きて活動することなのか. 東京に来て4ヶ月位経った今そのことがよりリアルに感じられる。
ここに来なければ出会えなかった人、逆にここに来たから出会わなかった人がいるはずです
意識せずとも常に何かを選択しているのだとしたら何か愚痴を言うのも単純にその人の選択ミスともいえるのだ。選択ミスと呼ばない為に言葉を置き換える。 勉強になったとか、あれは修行だったとか、そういう言葉を使う。

昨日は何も考えられずドローイングを4枚描く。何も考えられない時の自分の非生産性はなぜか絵だけを生むのだ。何かができない時というのは何かが生まれる時なのかもしれない。欠点だらけの人がロックミュージシャンとしてステージに立っている理由はそういうことなのか。だとすれば何も出来なければ何も出来ないほど優れていることにもなる。 楽器のできないボーカリストがバンドを引っ張る瞬間のことも気になる。 お前何もできないじゃんと言われる可能性があるのである。そんなものを吹っ飛ばしていくコトというのはその人が何かを持っているからであって、その何かはその人にかかっているのだ。

兎に角家を探さなければ。その時間が無い、、というのは言い訳ですな あらぬ方向に飛んで行く気持ちを矯正する機械があれば10万位で買うのになぁ。