意識の流れ

今日は誰も読んでないであろう他人のブログを何個か見た。 そういうところにあるものは面白い。編集以前のメディアという感じがする。きちんとした何人かできちんとした編集を行ったメディアサイトみたいなところには、そういう雰囲気が欠けている。というより、欠けていなくてはいけないのだ。 きちんとした、オフィシャルのものは内容を絞らなくてはならない。こういう面もあって、こういう面もあって、こういう面もあって、こういう面もあって、、

と発信したりすればメディアとしては成立しないのだ。何か事実を正確に伝えたり、その事実に対して明確な態度を表明したりしなければいけない。 しかし、人間はそんなわかりやすいものではない。反骨精神で燃えている人が、もしくはナイーブな気持ちから抜けられない人などなど、メディアのことを馬鹿にするのはこの辺に原因があるのかもしれない

警察官という人も、傍から見れば警察官なのだが、それぞれの人たちは違うはずなのだ。スーパーマンみたいな気持ちの人もいるだろうし、中々給料が良いんだよなぁと思っている人もいるだろうし、正義であるというプライドを持っている人もいるだろうし、あんまりこの仕事に向いてないんだよなぁと思いながらちょっぴり恥ずかしい気持ちでパトカーを運転している人もいるんだろうなー。 しかし、世の中?を滑らかに動かすには警察官と無理やり呼ばなくてはならないのだ。 こういう面はいろんな状況ででてくる。  学校に一日も来ない人を、そいつは結構良いやつで、それなりの事情もあって、こういう事を考えていて、だから卒業させるというわけにはいかないのだ。 

思うに、国が成長し、維持することを第一に進めるにつれて、そういう面が増えていく。 国が今、はじまったというような状況、今まさに成長しているというような状況ではルールがころころ変わったり、ルールが適用されている場所と適用されていない場所があるような状態になる。 バブル期の人?が昔を懐かしむのは、お金がある時代への懐かしみに聞こえるが、実はそれは関係がなくて、そのようなカオスな状態に対する憧れなのではないか。  

テレビゲームの初期のものはおもしろい。ものによっては、なぜこんなぶっ飛んだものがリリースできたのかと思うようなものすらある。そんな場所も今はぶっ飛べはしないだろう。維持に向かっているからだ。