激情

自分の考えていたことをクレーも考えていたことを知ったのがとても嬉しかった。 建築の反対語は音楽だということをクレーも考えていたことを知った。自分が研究、表現していきたいことのテーマはここに詰まっている。勉強していこう。

東京に来て4ヶ月。確かに使える時間はあまり無かったが、何も残せていないのが悔しい アートワークとしてやったことはドローイング50枚程と、ZINEを作ったこと。それくらいだろうか。 他には、web制作は大分やったな。後、今度できるCDのイラスト。 そう考えると、結構色々作れたとも思うけれど、いかんせんこの4ヶ月で作ったことは別にこの地域でなくてもできた。それだけが心残りかな。 まぁこれからなのです。見ていてください。

こないだ陽大に電話した時に、お前の日記はハードコア中のハードコアだと言われた。笑ってしまう。
これを継続していかなければならない。 なぜ言葉を書いていくか。 それは、絵描き そうでなくても作り手が陥りがちな病が2つあるからだ。 受け入れられた過ぎてただひたすら世間や人に合わせたアートワークを作る。 自分の世界に籠りすぎてあまり人に見られないアートワークを作る。 どちらも間違っているという風に認識していかなければならない。僕は後者の気持ちが強い。 ヴィンセント症候群というやつだ。 僕はただ周りに合わせただけのものを作るくらいなら自分のスタイルを徹底的に追求して理解されない方がマシだと思っている。ただそれは、”まだマシ”というだけだ。理想は何か。 僕は理想を一言で言えない。どうしても長くなる。 むしろ、長くなるべきだと思っている。理想は1年たてば少しは変わる。見える景色も変わる。それをひたすら追っていく。キツくても何がしたいのか、何が目標なのかを書いていく。自分がやっていることは何なのか、何を表現しているのか、今何に興味があってその興味が自分のアートワークにどのように作用するのか。もしくはしているのか。 絵を描くスピードと同じスピードで日記もつける。

理想は長くずらずらと書くべきだ。少なくとも自分はそのスタンスだ。それは一々日記につけなくとも、考えてはいくべきだ。自分はそれを定着させたいので文章のアーカイブとして日記に残す。 簡潔な理想は自分の敵である。 今、自分の友人には、売れれば何でも良いなんて言う人は一人もいない。 そこからだ。そこがスタートだ。じゃあ自分は何者なのか。僕の友人は何者か。 そんなモノを作るくらいならこのままの方がマシと言い続けるのか。 それが嫌だからこそ言語化を続けていく。自分の言葉を未来の自分が見る。過去の自分はサポートしてくれるのか。佳境に立った時の自分を自分は応援する。

兎に角、それだけだ。今後は、なぜ描くかというようなことよりも勉強した内容を書いていこう。もう既に気合い十分なのだから。

クレーの絵には全て詩的なタイトルがついている。これは、興味深いことである。 “激情”というタイトルの絵がある。

木を描いて、”何とかという場所に生えていた木”というタイトルをつけるか、それとも、精神的、内面的なタイトルをつける作家なのかで表現しようとしている内容は異なる。クレーはどちらかというと内面的だ。しかし、ポップな部分がある。 これは和訳の効果もあるかもしれないが、理解できない言葉はでてこない。 激情という意味はわかるだろう。 そして、その名がついた絵がある。それを見る。その絵がクレーにとっての激情。 とてもシンプルだ。

激情というタイトルで絵は白紙だったとする。それはおそらく、作家にとっての激情ではない。それは、見る人を混乱させる為に存在させたものだと思う。激情と書いて激情を描く。 それとは逆に、何かを描いて これは激情だ と 思う。 激情と”その何か”を名付ける。

自分のドローイングにタイトルがついていなかったことを思い出した。これにタイトルをつけよう。 眠過ぎてたおれそうだ。寝よう。