誰が当事者か

やはり、現象学が気になる。本も見つけられんでぐぐってるだけですが。このあたり、茂木健一郎さんの言う、クオリアにもつながると思う。 メルロポンティの言葉に、「客体化以前の秩序から構成をとらえ直す」というのがあって、、
例えば、地球が自転するのではなく、太陽が動くと教育を受けなければ自分は思うだろう。 客体化以前の秩序にいるからだ。

それと同じく神話や言い伝えの類もそれが関係していると思う。 2016年に神話を作るのは難しい。世界の事実の多くが明らかになってきているからだ。 しかし、日本人の、太陽をお天道様と呼ぶ感性に対して、事実はこうだとくどくど言うのはナンセンスだ。

あと、それと関連して、当事者感の欠如がこの社会に蔓延している、と、なんとなく思うのだ。「知っているけど、自分は関わっていない」という状況は情報を遮断しない限りは増えていく。本当のところ、社会運動的なものは正義の為でなくて、自分も当事者になりたいという願望を表出させる運動なのではないか。しかし、すべてに関わることはできないのだ。なにと関わってはいけないかはっきりさせる必要がある。そうでなければyahoo知恵袋が人間になったような状態のヒトになる