展示期間中にずっとdubを聞いていたからか、今聞くと、無心に何かを描けるような感じがあるな。描くって紙の上でなくてイメージの中でも良いのだ。 workstationサン行って、えほんやるすばんばんするかいしゃさん行って、pockeで箕浦さんの展示をみた。自分の大好きな場所と人たちはオルタナティブ&インディペンデント! イエス、オール!

流行って集団の心理とかデータみたいなものを連想、に、対して、自分の好きなものは個人の思い入れとか、そんな感じ。自分の世界持って大工さんしてる人みたいな。 意味不明だ。 国民的ナントカの名前を全く知らないのですが国民に含まれていないのでしょうか。 全米が泣いたと言われて初めて全米が泣いたらしいということを思うとき果たして全米が泣いたのだろうか。 多分まだ行ったことのないニューヨークの友達になれそうな人(未来friend.)は泣いていないとおもう。
なんせ住んでる人が3憶人以上もいるんだゼー その、”以上”って言葉の中に含まれてしまった人は一体どんな人たちなんだろう。

そうすると、300,000,000人っていう数字はデータでしかなくて、1人っていう数字は恋したり仲良くなったりする人間なんだろうか。300,000,000人の中の1人がアンハッピーでも全然気にしないけれど1人の中の1人はハッピーになってほしいな。
そんなミクロ人間の僕はもうニュースすら見ていないのである。僕の夢は、一人一人が独自の夢を見て、その結果何のまとまりもなくなることである。そうして各々が個人的な夢を証明してみせるというバイブスが地球に蔓延し、各々が展示をしたりライブをしたりして。。 たとえば僕の次の展示にペンギン研究家のおじいさんが来て、「えぇ!私は常々ペンギンとあなたの絵が似ていると思っていたのですが、やはりペンギンの観察から影響を受けているのでしょうか」

ハムスター専門の写真家:「いいや、ハムスターに違いない」

子供A:「ガッ!ハムスター!」