ノータイトル

昨日からずっと体調を崩している。喉→鼻→頭の順にやられた。さっき、こっちにきてからはじめての料理をする。ただの焼きそばだけど。小松菜、ピーマン、もやし入り。あとは緑の野菜ジュース。あとバナナ。 タバコも吸う気にならないので吸ってない。すごく汗をかくのは良い兆候なのかもしれない。もっと健康に気をつかう 身体に良いものを食べて、良く寝る。 三度の飯よりカフェインとタバコな暮らしをしていた 血液がコーヒーの色になってしまうくらい そういう暮らしを改めていかなくては 自分がやっていくことは時間がかかることを理解したら、その辺りも考えなくてはいけない 27歳でしんでいる場合ではない それでは何も残さずに消えることになる

本気でやりながらも、(やれないときは、考えながら)時間がかかるという認識でいることは前の自分にとって難しかった。 本気でやるからにはすぐにでも目に見える形、見えないにしても実感が欲しかったというのはある。 今は、そうではない。けっこう、落ち着いている。というのは、年を経ていくことに対する自分の理解が変化したからかもしれない。 結局何歳になろうと大して変わらない。 若いうちにコトを為さなければ周りの感性も変わってしまうなんて思っていた それは嘘でしたね

地球上で1回目でも250回目でも意義が変わらないようなことがやりたい パイオニアだったからこそ意味があったことは1回目以外の回数はほとんど意味をなさない 必死になって1回目を探している人たちがオリジナリティを持っていないという現実もある オリジナリティという言葉は月日が流れるにつれて陳腐な言葉となって、格好良さが実はメッキで、剥がれていくような気持ちがある。色々な、フィールドで、どうやらオリジナリティというものは無いという考えが当たり前になっていっているようだ しかし、僕は一周回ってそれを大切にしたい 結局全て言葉の捉え方なのかもしれない オリジナリティというものは無いというのは、いくら”それ”を追求しても、何らかの影響を受けていることは免れないという捉え方が正しいのだと思っている。 最初から、そんなものは無いのだから、この格好良いものを参考にだとか、この売れているものを参考にというのではダメだ ダメだというか、参考にされている人がそのオリジナルを作り続けてれば良い話だ 僕はようやく見つけはじめている

感じ方の時代はすぐそこまでやってきている 情報の時代はおわる いや、終わらないけど、情報を沢山得ようとする時代じゃなくなってきている その情報から何を感じたかに移行していく 誰も何も感じない時代であれば、どんなに平等にニュースが流れても意味が無い

昔の人。と、言っても、僕はミーハーなわけですが、俳句なんかを書く人は、花を見て、季節が変わるのを感じて、季節の香りに心を動かされたわけです 今、花を見て心を動かされたりテンションが上がっちゃってる人が何人いるんだろう 僕も大して心を動かされてない辺り、情報にやられているのです 今や、人間としても、物知りな人よりも、素直に感情を感じられる人、違うものに違和感を持てる人、正しいものに正しいと思える人、素敵なものに素敵と思える人の方がいかに魅力的か。僕は例のニュースを見てきても何のアクションも結局起こせなかった 格好悪いと今も思っている 僕が格好良いと思った人はそれに詳しい人よりもこの状況をなんとかしなければと”感じた”人でした

そういえば、ラダイト運動というのがあったのですね。イギリスの機械打ち壊し運動です 機械が人間の生活をおかしくさせるという意識が19世紀からあったことは、確かです その後、2つの世界大戦があり、現状があるわけで、やっぱり機械おかしいやんと思うわけですが、今このブログをパソコンで書いているあたり、矛盾した人間です まぁ、極端な所に正解は無いんだと思う。 熱狂的な人は大体間違っている 間違っている人が許されるのはきっと絵描きとか音楽を作る人なんだろう。政治に関わる人が熱狂的にずれていたらはた迷惑だしね。