色の無いZINE

一昨日だか昨日の間のような時間に、とりあえず30部ZINEを作った。基本は手売りです 売り方も表現の一つと思っています 自分でも初めて見るA6サイズの白黒のポテズ。普段描く時は、A4サイズに2つ描いているのです。面白いのが縮小して色を無くすと通常のポテズとは別の魅力がでてくることである。 30年前に作られたやつだと言われても違和感が無いような雰囲気がある。

ZINE、ジンは元々”ファンジン”と呼ばれていたらしく、サブ・ポップやタッチ&ゴーというロックレーベルもその”ファンジン”と呼ばれていたモノからはじまったという。サブ・ポップはNIRVANAやSOUND GARDENが所属していたレーベルである。最近またシアトルって地域が気になるな。僕はもっともっと”メディアにピックされない奴らのやり方”を勉強しなければならない。

そんなわけで今回できたZINEです

ポテZINE 裏面
こちらは裏面。LINEスタンプとなっているポテ君たちのモノクロ版。こうして紙に印刷されたポテ君というのを客観的に見て、自分の絵というのはデジタルなモノで代替できないことを強く実感した。現代においては歪んだ線の方が難しいのね 日本でDJをはじめた初期の人(名前は失念してしまった)がたとえ機械を使って作った音楽だとしても機械で作った感じをだしたくないと言っていたのを思い出す
バンドのグルーブ感覚をだしたいと。自分も同じくグルーブ感というのは活動の大きなテーマである。グルーブというのは本当にニュアンスの話で、言語化するのが難しいことなのだが、平たく言うと”人間感”だろうか。手作りのこだわりというのも少し違う。音楽であれば、この時こいつはテンションが上がっていたとか、チューニングが少しずれていたとか、ボーカルが風邪をひいていて声が裏返ってしまったとか、リズムが微妙にずれてしまったとか、そういうモノが数えきれないほど積み重なった結果がグルーブと呼ばれるものだろう
ZINEと関係なくなるが、ストゥージズのSearch And Deathtroyを聴いてほしい。
もしかすると自分の気のせいかもしれないが、曲の最初の方と最後の方では全体的な音量が違う気がしないだろうか。最初の方が小さく、最後の方は大きい。もしかすると狙ったことなのかもしれないけれど、個人的には、みんな演奏中にテンションが上がってしまって自ずと音量が上がっていったのだと思っている。それがグルーブである。僕はこのSearch And Deathtroy感をだしたい。 話はZINEに戻ります

ポテZINE 内容
ページをめくった感じです。久々にwebでなく紙媒体を作って思ったのは、紙は光を通すということでした。相当分厚い紙でなければ光は紙を貫通します。ポテZINEも同じく。裏に印刷された4コマが微妙に透けて見えるのです。これは長らくwebをやっていたから見えることかもしれない。やはり、”文化は内側から見えない”のだね あとは、こういう4コマ集的なのであれば、いまは何ページ目かという概念が無いことにも途中で気づいた。ポテZINE ページ
1ページ目はモノによって違う。これは手作りZINEだからこそできる表現でもある。表紙含めて16ページしかないのでそこまでバリエーションがあるわけではないけれど。気づいたからこそやってみた。ノンブルはつけなくて正解だった。
そんでもって表紙。

ポテZINE 表紙
表紙はポテZINEに限らず冊子状のプロダクトの大きなポイントである。今回のZINEは表紙は全部手描きで描くというルールを作ってみた。売る時にその場で。印刷技術の良い所と手で描くという一回性の良い所を混ぜ合わせたプロダクトになっている。売る人と買う人で一緒に思い出をその場で作るイメージです 東京に来てから3ヶ月の生活で、僕は僕のアートワークを続けていくだろうという確信を持った。つまりほぼ無思考でも形となったモノが生まれていく。これから意識していくべきはそれをどうするのかということである 多くの人に見てもらうのだとか、流通させるのだとか、そういうことではなく、もっと明確に言語化していく必要に迫られている。まずは表紙は手描きで一回性を持たせて紙を生き物にして売るという試みをする。 色々な試みをして、都度反省をして言葉にしてそのテキストを持って先に進んで行く。 そのテキストが正しいものかどうかを実験して検証していく。

まずポテZINEができて2日目の自分の感覚を言語にすると、このポテZINEを見て、鳥肌が立つ人や、素晴らしい、グレイトだ!! みたいになる人がいるとは思わない。しかしながら、それは空間芸術と呼ばれる作品が持つ特性だとも思う。 表現はモノによって色々な目標があるのだ、方法によって達成できることと達成できないことがある。絵の中にも音楽の中にも住むことはできない。家は住めるけどね。 僕は”住める音楽”を目指すと言っている人がいたら、おかしな人だ、と思うだろう。つまりは、その作品によって何を目指すのかというのを考える必要がある、このZINEは、机の端っこで寂しそうに、しかしぐちゃぐちゃになったりすることもなく、良い意味で微妙な存在感を持ったZINEになってほしいと思う。持っている人の脳の1%くらいを占拠して、それがたまに50%になってまた1%に戻っていくようなモノ。落ち込んだ時や苦しい時にふと目がいくモノ。大したメッセージも迫力も感じないけれど、なんか良いわと思うようなモノ。ポテ体験。 日常からなんの脈絡もなく猫が歩いてくる時に、あ、猫!って思うフィーリング。それを味わってから猫に意識が向いた時はじめてその場所に猫が沢山いることに気づくような感覚を感じてもらえれば大成功である。そういうプロダクトになっているだろうか?? これからもっとテキストを作っていきたい。

そんなわけでZINEができました。次回のZINEもおそらくすぐにできる。これは絵と写真集の間のようなプロダクトになる。写真集は専門学生時代のファックザバビロン写真集以来である。というかフィルムカメラは初めてだ。こっちのZINEが先にできる予定だったのですが,,, これは本格的なモノになる。今回作ったZINEは、アビーロードの最後の曲みたいに思う。次回のは作品自体というイメージだ。”偶然性とDJ的感覚の編集が出会う瞬間”という自分の中での制作テーマがある。 自分で自分の表現に編集という表現を重ねていく。描いた当時の自分と今の自分がフューチャリングする。