新年

1月5日に書いているにもかかわらず1月4日に書いたことにできるのはデジタルの面白い所だな。新年です。2015っていう数字が聞き慣れない数字になるまでさほど時間はかからないと思う。新年は、しょーた、陽大と作るフリーペーパーの話をしていたり、他にもとりとめのない話をした。あとは、新年会をした。栃木からたかのりが来ていた。
たかのりに、人柄を知った上で絵を見るとヤバい と、言われた。それは皆そうな気もするけど… 次に作る都市牧歌で、その辺り表現できればと思っている。写真はたまったのでもう作りだせると思う。

ドローイングに関していうと、おそらく今、250枚くらいあると思う。4コマも含めれば300枚か。段々と、小さいサイズ感に対する不満もでてきた。大きなサイズに移行していくには、大きなサイズで描ける環境が必要である。その辺りの環境を作ることも含めて、必要な力だな。 都市牧歌を作って、絵本のデータ作りくらいまではこの家でできると思うので、それまでこの家に住みたいな。

絵本に関しては、自主制作がかなりシビアだ。製本の値段が高すぎる。ZINE的なノリで薄っぺらい紙で「仮」として作るか、協力を得てしっかりとハードカバーで作るかのどちらかになる。 今のところ後者で考えている。展示に原画を置いて、協力者を募るのも良いかもしれない。その辺り、良いものを作ることだけに集中していこう。

今、NEVER SAY DIE SPIRITステッカーを見ていて、ポテ君の黒い輪郭線の上に肌の色が乗っかっている箇所があって、侵蝕された、干渉された線ということを思う。アナログな絵における本質は”干渉”ということにあるかもしれない。IllustratorやPhotoshopのように、独立したレイヤーの集合でなくて、一つのレイヤーに無理矢理描き付けていく。その結果意図しなかった混色や、不協和が生まれる。

生のドラムの音っていうのは、バスドラムを鳴らしている時にもハイハットやシンバルが反応して、微かな音を出しているのではないか。それは侵蝕、干渉という概念に近いと思う。それは初見では気づかないが、確かな音の違いとして認知しているのではないか。 なんとなく、打ち込みっぽい音だなとか、実際に叩いた音だな、ということがわかっても、なんでそれがわかるのかがわからなかったけれど、そういうことかもしれないな。