なおきのひ

なおきがこっちに来た日。しばしTRIBE RECORDSの話をした。なおきが良い感じの空気を纏いはじめているような気がした。プライドと柔軟な気持ちの両立は難しい いや、何に関しても、両極端の右端と左端を掴んでいることが難しい。スローライフと言いながら頑張ることや、技術なんてどうでも良いと思いながら必死に練習することや、そういう矛盾したことを如何にやるか。 やっぱり新しくないとダメだっていうことを言っていたのは感慨深かった。自分が生まれてもいない時代のコトや文化に浸って、そのままコピーして、伝統だのルーツだの言うのは失礼とずっと思っていた。 学ぶ側でなくて生み出す側なんだ。そんな人で自分が、自分たちがいるならば、歴史を新しく更新していかなければならない。 温故知新、ゆっくり急ごう ネ

そんで今日はサンカクヤマに行ってダダの本を買い、新しい人に行って柳宗悦の書いた手仕事の日本という本を買った。この本は戦時中に書かれた本で、少し”日本の素晴らしさ”みたいな雰囲気があるけれど、ここでも、西洋の良いところは取り入れようというような記述があって、戦時中の日本にあってはものすごく柔軟な考えを書いているように思った。 このスタンスを学びたい。というのは、「体制」があれば「反体制」があって、そのどちらにも響かせられるような言葉っていうのは体制にいる人も反体制にいる人も言えないからだ。 むしろ、私は、絵に興味があるとか、音楽に興味があるとか、そういう人が意外な抜け道を見つけていく 本来は政治のカバーできない部分をアートというものがカバーしなければいけないわけで、そういうことをやっていきたい

金城次郎の器にくらった。陶器に興味を持った日でもある。金城次郎の名はこいけんさんに教えてもらった。3Dプリンタで再現不可とおもう。 これは言葉にするのが難しい。絵 よりも、写真と現物の差がある。 現物っていうのは、面白いね。陶器を感じられるのは五感全てだ。特に触感は、感じたことの無い気持ちがあった。僕は目が見えなかったら陶芸をやっていたいと思う。触れられるという喜びは、あるよね。生きている感じという。 実は生きているイメージを味わうのは、味覚と触覚なのかもしれない。この二つには視覚と聴覚と嗅覚の三つとの大きな違いがあると、今思った。味覚と触覚の方が危険と近いっていうこと。 食べると危険、触るな危険。は沢山あって、見ると危険、聞くと危険、嗅ぐと危険はあんまりないのではないか。 生きている感じと危険は隣り合わせということだろうか

あと、器にせよ、人形にせよ、360度から見ることができるもので、そこには絵との違いがある。壁にかかった絵を後ろからどうやって見るのか。人形は後ろから見ることができる、器も。いつかはそういうモノも作りたいなぁ