「声」

2004年の坂口恭平日記を読んで励まされた。 全然うまくいっていないのにパリに行くことになってたりしたみたいだ。その両輪というか、誰のなかにも上手くいっている現実と上手くいっていない現実が二つあって、それと暮らしているだろうな。
三ヶ月くらい前に買ったspectatorは、「クリエイティブ文章術」というやつ。実際、あんまり読めていないのだが、その中の、「声を持つ文章」という概念にはやられた。その言葉だけで自分が成り立っているような気もしたのだ。陽大にその概念を話すと、くらっていた。
長いこと、判断の基準みたいなものがわからなくいた。いや、実際には判断する基準はあるのだが、それがなんという名前なのかがわからなかったのだ。ロックかどうか?も違うし、気持ちがこもっているか?も違うような気がして、「声」って言葉を当てはめてみる。そのデザインに、絵に、音楽に、写真に、映像に、声があるか? 「ある」のは好きで、「ない」のは好きじゃないのだ。

仲の良い友達と電車に乗ると、中吊り広告に文句を言ったりしている。渋谷駅のでかい広告にも文句を言っている。他の乗客やスクランブル交差点の通行人からは滑稽に思われているかもしれない。
それは嫉妬でも開き直ったわけでもなく、声を持っていないから嫌いだというだけだな。だからといって小さいことが良いとか、DIYだから良いとか、ハンドメイドだから良いとかは思わない。陽大と話したけど、LAFORETのでかい広告は中々かましているのだ。

そんなわけで、声を持つ為の修行です。既に持っている声を活かす為の拡声器を作って、新しい小さな声を探さなければならない。やることはその二つ!!