のんびり

実家でのんびりしている。
昨日は楽しかった。ツイストパーマもかけたし。 ACE GENERALSTOREに行き、しょうたや植松さんとも会う。 植松さんから即興ピアノ演奏のCDを頂く。少しだけ、何をもってピアノを弾けるかという話になる。いつも大体こういう話になる笑 やっぱり何かを追求してきた人と話すのは面白い。 別のものを追求している同士でも話が通じ合う感覚は、「追求している人」というジャンル同士だからだろう。 きっとジャンルというのはまだ知覚されていないジャンルもあって、本当に無数にある。 ジャンルというものから逃れることはできないけれどそれぞれが複数のジャンルに所属している為、その人はオリジナルになる。

陽大にドローイングを見せた。写真で見るのと全然違うという。 そう言われたことはすごく良いことだ。写真と一緒だった、写真の方が良かったとなっては展示する意味が無くなってしまう(それは写真の撮り方もあるかもしれないが… )
飾ったり、インスタレーションの一部として今まで描いたドローイングを使う時は、ベルグでやっていた坂口恭平さんの展示のように紙の額を使いたいと思う。そうすることでドローイングの持っている生っぽさを失わないことができるように思う。完成された”作品”というよりは完成に至るまでの勢い、プロセスみたいなものを見せられればと思う。

マルセル・デュシャンは、完成された個々のプロダクトよりも思考の過程を見せることが大切というようなことを言っていて、それは現代の考えにおいて主流になってきているように思う。しかし、少し行き過ぎな感もある。結局プロダクトが無ければ”そこに至るまでの思考の過程”に興味も持ってもらえないように思う。 あまりにも作品自体のバックボーンとかカルチャーとか文脈みたいなものに頼りすぎればプロダクトをほんの少しだけ作って、あとはひたすらブログを書いたりツイッターで解説をしていれば良いことになる。 それではダメだと思ってしまう。僕は作ったものの持っている雰囲気や強さみたいなのに重点を置いていきたいと思う。

サンカクヤマでルーツロックレゲエの本を買ってからレゲエやダブを聞いている。今聞いているのはIqulahという人。
僕はポテズの中で”ヤビ君”というラスタなキャラクターを描いていたにも関わらず全然知らないことを恥じていたのだ。これから学ぶ 学ぶというより、聴く。 聴くことは学ぶこと