きょ

煙草やめれなかった、、、
絵がすごい勢いで描けた。こうしなきゃいけないっていうマイルールを粉砕できたのかな。ノウハウを積み上げていくやり方がよくわからない。& 絵というか、書道みたいな感じか。その瞬間だけというか。時間かけてかけて、なんなら10日かけて描いた漫画よりも10分で描いた一枚の絵の方が良い時はうれしくもあるけど、漫画描いている時はむかついたなぁ。時間かけた分の反応をしてよ、紙さん と言いたくなった。

歴史の勉強とかをして一通り頭が痛くなったあとはなにかしら描きはじめるけれど、勉強したことはいつも、何一つ活かせていない。勉強ってそもそも活かせるのだろうか。今日のノートにはイスラエルの三代目の王、ソロモンは、、、 等など書いてあるけれど絵には全く関係がなかった。
宗教とガチガチに絡んでる時代の絵は個人的には、あんまり好きじゃないと思った。ブリューゲルという人は別だ。なんとなく、問題児感があって好きだ。

宗教画が描かれなくなってくると自分の中での面白さがはじまる。しかしながら、それはなんとなく集団の神様から個人の神様に移行したという感じがある。どちらも根本は変わらないのかもしれない。

群れを抜け出して夕日を見つめる猿というのがいるらしい。野生の動物にとって群れから抜け出すということは死と隣り合わせの行動のため、リスクが高いにも関わらず。夕日を見つめる。そこまでして夕日を見つめたいのだろう。それか、死ぬのはあんまり怖くないのかな。うん、ロマンチック!!!
人が群れたがるのは野生の勘みたいなのがまだ残っているからかもしれないな。何が境界線で、人間と他の動物を区別するんだろう。賢さなら人間はかなり欠けている。金を使うのも人間だけなら、自殺するのも人間だけ(これには諸説あるけれど) なので、2116年になって人工知能を駆使した仕事を行い、乗り物で空を飛んでも結局満たされずに生まれ変わったら野良猫になりたいっていう人は増加するだろうな。仏陀もびっくり。 更なる発展をという人は発展の方向を間違えているのだ。 多分、周りより自分の方がすごいということをやりたいだけだな。 しかし、猿界にもボス猿が存在するのだ。動物園で猿に餌をやる時には絶対にボス猿に餌をやらないようにしている。豪族みたいな顔しててん。

そのあたり、猫はそういうしがらみがなさそうに見える。実家にいたときは、まれに猫同士の殴り合いを見たのだが、、
それも、クラスメートの喧嘩みたいな感じがあった。そういうのはポテ感がにじみでている。たぶん、一日たったら、なんであんなことでカッとなってしまったんだろうっていう原因の喧嘩だ。
おまえ、おれの餌食べただろ、フンガー!