かぜ

熱をだしていた。
気をつけねば。
“フッサールによれば、ユークリット幾何学によって準備されガリレイの天才によって近代ヨーロッパの世界の模型となった自然の理念化ないし数学化によって、われわれの直接経験的な世界観が蔽われてしまったのである” --現象学 木田 元

この、現象学という本を読みたいな。 最近考えていることが既に昔書かれていて、うれしくなることがよくある。
星も太陽も、昔 神秘であったものは今や数字にされたり科学的に解明されたりして、どんどんつまらなくなっているのなー。

メルロポンティは、「最初の哲学的行為は、客体的世界の手前にある生きられている世界に立ち戻ること」と言っているという。
星座を作ったのは星のことがいまいちよくわかっていなかった人たちだと思う。今、わかっている と、思っている。でも、誰が地球が自転しているのを見たのだろう。自分は、そう教わったというだけだ。 果たして本当なのか。真顔で聞かれたら、本当だと言う自身が無い。 ただ単純に、朝になると太陽が昇ってきて、夜になると太陽はいなくなるということ。それがここでいう「客体的世界の手前にある生きられている世界に立ち戻ること」なんだろうな。

何か物を落とした時。重力だという実感はあるか。 あぁ重力!なんて思わないな。
そうすると、
クオリアの問題に行き着く。
赤、赤、赤、といっても、客観的に赤なのかは知らないけれど、自分にとっては赤だっていうことだな。 人によって自分にとっての赤を持っていて、赤はひとそれぞれ。人の視覚を使うことはできない。自分にとっての赤を見つめるしかないのだなー。
客観的な事実 というのは疑わしいのだけれどその言葉を用いないと世の中は回らないらしい。客観的な視点というのは誰かの視点だということを理解しなければならない