日本語とは

日本語は面白いなぁと不意に思った。ひらがな、カタカナ、漢字の3つがある。

こんな言語が他にあるのだろうか。あと、ローマ字というのもすごく面白い。”Supureme” は、”すpれめ”に。”NIKE”は、”にけ”に。”EU”は”えう”に。これはローマ字読みなのか英語で読むのか? というのを自分自身どういうわけか一瞬で判断しているように思う。いつからそんなことができるようになったのか。そんな感じで、出鱈目に文字を羅列していたら凄い時間が経ってしまっていた。自分はたまにこういう無駄としか思えない時間を過ごす時がある。その時間を何度省こうと試みても成功したことは無い。しかし振り返るとこういう無駄な時間が自分のアイディアの源泉となっているのかもしれない。それに、無駄な時間というのは、一体なんなのか。”何を持って無駄とするのか”というのもその人の経験や習慣に依存する以上、”無駄としか思えない時間”というのはあくまで主体は自分であるから、”誰にとっても無駄としか思えない時間”というのは存在しないんだろう。
更に突き詰めていけば、人間が生きているということ自体、地球からすると迷惑というか、無駄なことなんじゃないか。しかしそこまでいってしまうともうどうしようもないため、ここまでは無駄ではないという風に言い聞かせて暮らしているのかな。

無駄無駄書いてて思ったのだが、ポテズも無駄の権化である笑  ゆるいキャラクター達が大した目的もなく無駄なことをしているっていう感じだ。

もの凄い文章がそれた。日本語の話だった筈だ… その昔、必死にブログを更新していた時があったのだが、その時もどんどん話がそれていった。学校の先生をやらせてはいけないタイプである。 次から次へと色んなことが頭に浮かぶため、それに引っ張られた文章になってしまう。1ヶ月ほど前に小説を書くことに挑戦してみたのだが、6000文字位書き、これは確実にまとまらないということに気づいて挫折してしまった。また、時間ができて気持ちが向けば書き進めたいと思う。時代は、論理的思考がベストであるということに収束しつつあるように感じるが、全く適応できていない。かといって、直感的な人間なのかといったら、そういうわけでもない。何か、論理的に出力されたものを学び、それを自分なりの形で論理的に出力しようとするが、失敗して感覚的な出力になってしまう。これは力不足なのだろうか、それとも、そういう”スタイル”なのだろうか。
話が飛びまくってしまうが、なお君に、アーティストは職業の名前ではなく姿勢の名前と言われたことを思い出した。僕はその考え方をすごく気に入っている。アーティストなスポーツ選手もいるし、アーティストなサラリーマンもいるのだ。要するに、”アーティストでは食えない”というのは、通用しないのだ。”仏教徒じゃ食えない”とか、そんなことを言っているようなものだ。では、どういう姿勢のことをアーティストの姿勢と呼ぶのか。それはわからない、雰囲気みたいなものだろうか。姿勢を規定できない姿勢がアーティストかもしれない。こんな文章で何が伝わるのだろう笑
だからこそ、自分が絵を描いているのはすごく良いことだ。こんな文章で伝わらないから絵を描いているのだとも思う。今日は横尾忠則さんの映像なんかも見たけれど、言語では表現できないからこそ描いているのだなと強く感じた。と、同時に、言語で説明することがあってこその画家や表現者もいることは事実なので、自分はどちらのタイプ(AかBかどちらかという話でもないけれど)に属するのかをこれからの活動で研究していかなくてはならない。こないだクラフトマンの友達げん君が、表現者は自分に集中するべきだという旨のことを言っていて、ものすごく勇気がでた。なんでこんなに自分のことばっかり考えたりしているんだろうと思っていたからね。表現者は自分に集中することで他人に影響を及ぼしてきたと思うし、これからもそうあるべきだと思う。だって好きなミュージシャン! 絵描き!が他人に気を使って生きているようには見えないよ!

まぁでも、人様の気分を害するようなことはしてはいけないね。無駄な日記でした。これからほぼ日刊イトイ新聞の如く書いていきます