見れるのはいつも昔

なんとなく、日記というので、今日のことを今日書かなければというような感じがしていたけれど、最近思ったことは、何時に何をしただとか、何を買ったとか、何を食べたというような、事実については確かにその日に振り返った方が正確だけれど、あの人の言っていたことはこういうことだったとか、この出来事はこういう意味があったというようなことは、後から振り返る方がより多くのことを見れると思った。もしかすると、思い出っていうのも後から思い返すことによって作られるものなのかもしれない。だから人それぞれ思い出は歪められている可能性がある。何時に何をしたということがその時にどういう意味を持っているのかはその時にはわからないという気がする。

絵描きとして情けないことに、視覚的イメージを持つことが難しい。何かの建物があって、そこからでて左に行くとファミリーマートがあって、その先の信号を右に曲がると体育館があって、みたいな話を本当のところ、理解できていない。みんな頭の中に地図があるのか。その辺りの感覚はいろんなことに自ずと適用されるな。道筋を決めたり目標を見定めることは難しい。常に迷路を迷子しているような感じがある。しかしながら、昔決めたことはその迷う過程を作品と呼ぼうということです。要するに目標があってそれを達成したものを作品と呼ぶというよりも、目標を決めようとする姿勢自体を作品と呼ぶことで生きながらえるのではないかということ。

今日は都市牧歌を完成状態で仮プリントする。立ち止まるわけにはいかないのだ、