hey

junk boys prideっていう本を作ろうと思ってるけど文法あってるのかな、、
昔、よーたが俺たちは蜘蛛の巣だと言ってたの思い出す。 ただただやり続けて、誰かのアンテナにひっかかるのを待つ、と。 そんなことで良いのかとおもったのは正直なところだけど、今そうなってるので、それは的確な言葉だったのかも。 このところ、沈みがちで起きても立ち上がれないような感じだった、、
若すぎて、歳をとり過ぎたような、感じがして、というよりも、逆にあるものが常についてまわってきた。 右の気持ちと左の気持ちがわかるようになった時に、バランスって言葉を使って気持ちを保っても、何か、絶対に認めないものを持って、つまり絶対に認めるものを持って1日を過ごすことにどうしても憧れてしまう。 絵を描くことは近いかもしれないけれど、そこまで振り切れない、振り切ってはいけないというような気持ちがある。 3歳くらいから、ルノワールは素晴らしいみたいな子供だったら良かったのだろうか。 事実は全然そんなことでなくて、絵など全く関心が無かったのだ。 マット運動の方がよっぽど好きだった、そんな自分には見えないものや感じられないものがあると思う。 ただ、展示をやって良かったのは、そんな自分には見えないものを自分の絵の中に見てくれた人もいたってこと。作る本人が見えてないのはどうかとも思うけど、、 いや、それで良いのかもしれない。

自分のことはよくわからない。まとめて、自分のアートワークはこうです なんて風に見せることもできない、狙いはない。 あったとしても何を狙っているのかはいつまでもわからない。
そんな五里霧中の中ですから、あなたの絵はこうだ! みたく決めつけられるのも良いなあ。 視野を広げることに大した意味が無いことをおもったけど、今は自由であれば自由であるほど良いとも思わないんだなあ。

きっと、自由が欲しい人は不自由な人で、金が欲しい人は金がない人なんだろな。そういう状況では手に入れた時に全てが変わることを期待してしまう。 しかしながら、ポケモンのように捕まえた後はどうでもよくなってしまうんだ。