はろうぃん

今日はMEMに行った。慧が展示をやっていたのです。慧は概念的なことやどういう意味合いがあるのかということをすごく意識して展示っていう空間を作り始めていると思う。自分の中での折り合いをつけることや、作ったものに対する思い入れみたいなものは僕も慧から学ばなきゃいけないことだ。

絵を描くのは何かを感じたポイントでやるのが良いなぁと思った。そのタイミングではとても描ける。また、逆に、なんとなくクレヨンを動かしている時に何かを感じるというパターンもある。つまりは何か感情を持たないとダメだということですね。気持ちが動くならなんでも良い気もする。 気持ちを動くことは喜怒哀楽の4種類ではないなぁ。でもそれを言葉にするのは難しい。何かを感じた時にそれを絵にできるとしたら、少なくとも描けた数の分だけは感情の種類があるということになる。

て、別にいつもそんなことは何も考えていないのだけれど。 散歩を一日に沢山する僕は、散歩中、暇です。 何か考えないとやってられないので、何か考えるのですが、大体、中々これは良いアイディアだと思うようなことや、妙にセンチメンタルになったり、あれは恐らくこういうことだなと思ったりする。 都市は人間に似ているなと思った。ホームレスも金持ちもいるし、センスの無いデカイだけのビルからこじんまりした良い感じのお店があったりする。そういうのって人間の脳みそだと思う。ダサいことと格好良いことを同時にどこかで考えているような。何をヘラヘラ仮装してんねんって思いながらコンビニで煙草吸ってる関西から来た人も含めて渋谷って呼ぶんだ。 そうして、セルみたく吸収する。インターネットはつまらんとインターネットに垂れ流すことと同じく。

偶然が怖い人もいっぱいいるんだろうなぁ。自由に耐えられない人。偶然っていうものにオッケーをだすことは、綿密な計画と折り合いを付けるのが難しい。 偶然なことや予想外のことにネガティブな面を見始めている時は、もしかすると考えすぎなのではと思った方が良いかもしれないな。僕は偶然は必然的に起きると思う。100%起きる偶然を可能性に感じられなくなった時、つまらない人になってしまう。イメージ通りいったってことはイメージを超えられなかったってことだ。そう思えばラブ偶然になるはずで、かといってなるようになるという気持ちだけで前に歩けるとも思わないので頭の50%をどこに行きたいのかとか誰といたいのかとかに使って、もう50%は何も考えないでいたい