fanatic

膝と腰という身体のパーツが重要であることに気づいた。膝が伸びきっていると重い物を運んだりするのに非常に苦労するのだ。この2つのパーツを柔軟に保っておかなければ。

坂口恭平ドローイング展は8月もベルクでやっているようだ。バイト先も新宿なのだから、何度か足を運ぼう。自分と同い年くらいの時にあそこに通っていたのか。感慨深いですね、ベルグという場所は新宿駅の中で半端じゃなく浮いている場所だ 自分もこういう所を発見していきたい。良い所なんてそんなに一杯無い。良いと感じた所を記憶に残さないと。

友達も沢山作ったりする必要は無いんだろう。良いと感じた少ない人が宇宙につながっている
“首長は常に共同体の外から生まれる”–レヴィ・ストロース

共同体に入れないことで疎外感を感じる必要は無いのだ。そういう人が新しい表現方法や言語構造を発見していく。所属しているコミュニティによって表現方法や使う言葉というのが決まってくるのであれば自ずとそうなる。僕はそういう状況になっていると思う。

自分の脳に刻まれている言葉の中で、他人にも受け入れられるもの、受け入れられないもの、理解できるもの、理解できないもの そもそも、”他人”は誰か? という問題もある。他人Aにしか理解できない言語と他人Bにしか理解できない言語を同時に語ることでその両者をつなぐことができる。 歌舞伎にポップさを混ぜ込めば普段歌舞伎を見ない人も面白いと思う可能性がある。しかしただ受けいれられることを望むのであれば、ただの歌舞伎崩れであり、格好悪い。知る人にしかわからないような暗号としての歌舞伎も残った状態で無ければならないと僕は思う。

そうなのだ。別にポップなことが格好悪いことではない。むしろポップができるコトは尊敬できる能力だ。 でもその中に暗号と奥行きがあるアートワークを作っていかなきゃならない まだそういうレベルに達することができていない。このコトに自分は快感を覚える。変態的である。全然掘り尽くせていない世界がそこに広がっているのを確信している。
喩えていうならば、この地下深くに自分の望む石が埋まっている その真上の土を僕は掘っている 石が埋まっていないかもしれなかったら。掘っている場所が違ったら。 そこには絶望の忍び込む余地がある。 しかしそうではないのだ。

続けて行くことには、続けて行く内容に敬意を持っていなければならないんだ。学者ってなんで研究するか知ってるか。 本物の学者は金が無くても時間が無くてもそれぞれの研究を続けているだろう。 とにかく熱中しているのだ 研究する理由は熱中しているからだ。 熱中には不安や葛藤を一時期忘れさせるドラッグとしての機能がある。 僕はアートワークに熱中してそう思う。
これさえあれば生きていけるし、逆にこれが無ければ死んでしまう。 邪魔をされる理由は無いのだ。

遂に8月ですね。良い感じでほぼ毎日日記が書けてます。 新しい言語構造を持っている人間の言葉こそ今必要という坂口恭平さんの言葉を思い出して今から仕事をする。