毎年年末は来るのでそんなに盛り上がる気にもならない

この2日間、A5サイズのドローイングを12枚。
今、13枚目を描こうとしたら、だめだと思ってしまったところ。 昨日、上野の森美術館で浮世絵を買ったのです。歌川広重の名所江戸百景の中から、京橋竹がし を、職人が完全に、サイズや色、当時のままに再現したもの。 正直、展示会場で見た展示物より、こちらの方が良いと思ってしまった。「できたて」だからでしょうか。
浮世絵は不思議だ、「絵画」の技術として上手いわけでなくとも、上手いと思ってしまう感じがあって、この人とこの人、どちらが優れている?という問いが無意味になるような、そんな風に思う。 そんな、オリジナリティを見て、自分の二日間で描いたドローイングを見返すと、良いとか悪いとかではないのだと言い聞かせても、とても見劣りしてしまう。 そんなことを思いながら、ネットカフェのDELLコンピュータのキーボードで、「bad painting」と検索している有様です。

bad painting

ここにある、”ヨーロッパの新表現主義が政治的動向をはらんでいたのに対して、アメリカのバッド・ペインティングはきわめて個人的な自伝的要素を稚拙に表現した”
という部分には、自分をアメリカに置き換えられるような気がした。 というか、日本全体を見てもそうか。 とても立派なことを言って政治に食い込もうとする人と、もうなんでも良い、私はこうである という人はなんとなく分離しているような気がする。 自分が立っている場所をもう一度見直そう。 あと。既に大きな絵を描きたくなってきている。それは来年の目標だな。その為に何をするかということは考えておきたい。それなりに、画材が必要になるだろうし。実家の壁にダンボールを貼り付けてスプレーで絵を描いた時の気持ちを思い出す。自分が物質的に、形にしたということはすごく嬉しいことだ。雑誌を作る人がデジタルコンテンツに移行しきれないのも、そういった感情が絡んでいるのではないか。良いお年を