DRAW BER 2

昨日は尚哉のライブを見にDRAW BER2というレゲエバーに行った。 すごく格好良かった。 演者と観客という境目が曖昧な状態なセッションは素敵だ。その場でそこにいる人達で音ができていく。 音は絵みたいに紙に残るわけでもなく時間と共に消えていく 消えた時間を取り戻したくてもう一度ライブしたり見に行ったりするんだろうな 兎に角、こっちのローカルな場所に最高なお店があって良かった。 前から気になっていたカホンにもくらった。 僕は馬鹿なので、これからカホンを買って練習する。弾く動作より叩く動作の方が自分に合っている気がするのだ。 僕もいつか音楽的なセッションができるようになりたい。
DRAW BER 2用のZINEを描いてちゃっかり置いてもらった。

今日から二週間聞く音楽を変えてみる。この二週間に大きなものが詰まっている。アートワークに集中する為にもここを乗り切らなきゃいけない。佳境ですな。

PAUL KLEEの、本を買った。RETROSPECTIVEっていうやつ。retrospectiveは、懐古とか復旧ていう意味
クレーは自分の好きな画家で、抽象により過ぎることがない、良い感じに具象が残った抽象なのだ、カンディンスキーにも近い感性がある。僕は、モンドリアン的な抽象画というのは、”美術的”な意義は大きく残したと思うけれど、あの絵が純粋に好きで見るか?と言われたらNOと答える。 僕は色々と知った上で単純に良い絵を描く人になっていきたい。自分のやりたいことというのは観念的なものが多いけれど、それをむしろ具体的な形で残していきたい。絵にして残す

クレーもカンディンスキーも音楽が好きだったというのは偶然のことではないだろう。いつの時代も音楽を描く人が世の中にはいるんだ。僕も音描き種族として追いつけるよう頑張らねば。

全然知らなかったのだけど、クレーは12日間チュニジアを旅してからあの色彩を使いはじめた。「色彩は私を捉えた。私はもう、色彩を追い求める必要はない。これは幸福な時間である。私と色彩は一つである。私は画家である。」と日記に残して、白と黒だけの絵からそのスタイルに変化が訪れた。

自分にも、そんな12日間があるのだろうか。あってほしいような、あったら怖いような気持ちがある。 ゴッホにしても、クレーにしても、この、個人的な日記や手紙であってもまるで偉大な憲法を宣言するかのような文章の書き方は何なんだろう。やはり絵描きはそういう人種なのか 僕の日記もそうだけど,,, 大げさすぎて笑ってしまう。生と死みたいなことを一々書きたがる姿勢は深刻を通り越して笑ってしまう。 文章を書いていない時は割とラフな人間だったろうなと思うよ。 あまり読んだことが無いゴッホの手紙を読みたい。 ゴッホは表現者中の表現者で、絵で描ききれなかったことを手紙に書いて、手紙に書ききれなかったことを絵として描いた。 実家に置いてきたゴッホの本の中には、手紙の一部がのってた。 ゴーギャンとの暮らしがうまくいかず耳を切った二週間後には何事もなかったかのように、蝉を見つけた みたいな手紙を書いていたのは何なんだろう。