虚しさを買っている

ようやく体調が治ってくる。身体に気をつけなければならない。気をつけるというか、なるべく身体に良いものを食べたり、そういうことに気を使っていく。7月の27日に天王州にPIGMENT-ピグモンという画材屋がオープンするらしい。オープンしたら早速行ってみよう。自分は画材の力を甘く見ていた。これは箕浦健太郎さんの展示会を体調を崩す前に見に行って、今感じていることである。展示会場のビルの中で箕浦健太郎さんその人は描いていた。床に散らばる画材で音楽をやっていた。それは一種の運動とか、ギターソロとか、格闘技という感じだった。絵を描いている、えがいているという言葉がとてもしっくりきた。パソコンでイラストレーターを開いてイラストレーターしていることは、描いているというよりも、パソコンをいじっているという言葉がしっくりきてしまう。自分はペンタブとか、高度なデジタル技術を使うよりもありあわせのもので描いていきたい、ブリコラージュという自分の頭の中にある言葉をもう一度思い出す。

只、ここはPhotoshop使っちゃえみたいな気持ちは良い意味で残していく。今度自分のポテズドローイングも箕浦さんに見せにいこう。最近はドローイングが止まらない。住んでいる部屋のサイズ感からして、A4サイズでしか未だに描けていないけれど。段々とサイズも大きいのもやりたい。7月1日からは新宿BERGで坂口恭平さんのドローイング展もある。バイト先のすぐ近くである。これは絶対に行く。こないだのにんじん展のキャッチフレーズに、”おもしろい人は何をやってもおもしろい”というのがあった。本当にその通りだと感じている。僕も目指すべきドローイングは、手技ではなく目技である。

ぶっ倒れている時に、三宅洋平さんの選挙フェスの動画を今更、少し見た。また気持ちが政治に良い感じで向かいはじめている。大体腹が立つことは政治が絡んでいる。只腹が立っているだけでなく、いつかアートワークを政治と結びつけられたら良い。

あと、教育。自分にとっては教育の方が優先度が高いかもしれない。ADHDの子ども。授業中立ち歩いてしまうことを叱るべきだが、自分はダメな人間だと彼らに思わせてはいけない。なぜなら、彼らは叱られることを恐れずに、何らかの好奇心に突き動かされ、授業もそっちのけで座っていられず歩き回ってしまう強い気持ちを持っているのだ。必ず何らかの才能がある。そういう子ども達に画一的な方向性の進路しか教えられず、そこから外れれば落ちこぼれとするのであれば、教育は変わるべきだ まぁ、一般的な所からは落ちこぼれてしまうのかもしれない。だがしかし全てに関して落ちこぼれているニンゲンなどいない

なんだか自分以外の話が多い日記になってしまっている。自分のこと。小鹿田焼という技術に興味を持った。技術というより、模様に興味を持った。伝統的な技術であるけれど、すごくサイケデリックな要素がある。慧の絵を思い出した。慧で思い出したのだが、今日は慧眼という言葉を覚えた。”けいがん”と読む。”物事の本質を鋭く見抜く力”とのこと。最近慧に会うと、絵が上手くなったと言われる。一体何がうまくなったのだろうか。むしろ下手になっていっているような気もする。しかし、慧の眼があるのだろう その辺りの基準というのも興味がある。そういえば、上手くなることは下手になることという言葉があった。それがすごくわかる気がする。ある時点で、あぁ、技術じゃないんだという所に達する感じ

マイルスデイビスを久しぶりに聞いて絵を描いた日でもあった。体調が悪くても絵だけ描けるあたり、なぞであるが,, 最近はトランペットとか、ラッパ 管楽器に興味がある。興味があるというか良い音色だと思う。強い音色 オスマン帝国の音楽があるのだが、ローマはオスマン帝国のラッパの音がとんでもなく恐ろしかったんだという。

でも、戦はきらいです

全く関係無いが、因州和紙という島根生まれの和紙を知る。名刺が印刷できる所を見つけたので名刺が切れたら因州和紙で自分の名刺を作ろうと思った。あとはステッカーを作って、自分のパソコンにぺたぺた貼りまくりたい。その、わけのわからない箱は何だと聞かれたら、パソコンですと言えるようなもの。ステッカーを貼るのは格好悪いと思っていたので、どんなに格好良いステッカーでも貼らなかったのだが、最近はむしろどんどん格好悪くしていこうと思った。

この、人間よりもコンピューター優位の時代はいつまで続くのだろうか。2500年くらいになったらコンピュータが人間に指示をだしてそうだ。というかむしろもうそうなっているのかもしれない。自分と、自分の関わる人がそうでないだけで。今やガチガチなwebの世界では細やかなデザインの変更までデータを見て行われるようだ。これは”データ”というものが人間に指示を出しているということにならないか。データを見るのは人間なので、人間要素はまだ残っているが、そのうちもっともっと人間味が無くなっていくだろう。憎むものでもないけど。バランス、共存ですね

感情と、偶然性は自分が長い期間をかけて掘り下げていくことになるテーマである。昨日か一昨日の日記にも書いたと思うのだが、感じなければ何もはじまらないのだ ニュースや、情報は既にある。途方に暮れるほどある。しかし自分が得ている情報の量に比べて自分が感じている量はとても少ない。情報を減らして感じる量を増やすべきだ とりあえず今の自分はZINEやポテズドローイング、4コマポテズ、絵本の制作を通して感じるチャンネルを増やしていきたい そしてそれは何よりも他人が感じるチャンネルを増やす手伝いをすることにもなる

アサガオを見て季節や色んな気持ちを感じられる人がいたら素晴らしいと思った。何も感じられなくなったら、おしまいだ マイホームと、マイカーと、見た目は綺麗なダイヤモンドが必要です 虚しさを買っている