ベルク

今日の朝方、バイト終わりにベルクに行った。良いなぁここ。 知ったのだけれど、毎月、月代わりで色んな作家が展示をやっているらしい。僕もやりたいと、生意気なことを思った。ああいう、立ち食いしながらドローイングを見るっていうのも新鮮な体験だ。あの、ゴミゴミした雰囲気は新宿の駅近くのゴミゴミとは全然違う。とてもアジア的なゴミゴミだ。 生活感の中にアートワークが侵入していくような場所。 気取っているわけでもなく、品が無いわけでもない。そのポジションに立って20年間続いてきたお店なんだろうな。店の人に写真を撮っている人がいて、展示する作家がいない月の日はその人の写真が飾ってあるらしい。ベルクで使っている椅子も、元々は作家が作ったもので、展示していたものなのだが、実際に”椅子”として使いたいと思いお店が買い取って今も使っているんだって!
そういう、粋な心を持っているお店! これから、通う。

一昨日日記に書いた、FURUMAIが売っていたので買った。エランドプレスという出版社も気になる。
“長いあいだ読み継がれてほしい本、新しい作家たちの自由な本、心に残ったり刺さったり心をうきうきさせてくれたりする本、おもわず身体をゆらしたくなる本。そんな本を世に送り出したいという思いからはじまった” とwebサイトを見ると書いてある。 テンション上がるな。 今後関わることができると良いな。
Evernote Camera Roll 20150802 194104
今、ポストカード集を出版するっていう試みも良いね。こないだ陽大に手紙を書いて、こういう関わり良いなって丁度思ったところだったんだ。 年賀状とかも、今やメールとかラインというもので住ませている自分。 こっちのが早くて良いやと思っていたけれど。。

非合理、要領の悪さというのは2015年になって何百年ぶりに輝きを取り戻しているんだろうか。ずっとずっと物事のスピードを早めることが重視されてきたけれど、その中に少しの間違いがあることを気づいてきた人間。 そんなことを思う。

絵本を描いているのだけど、それは、スタイルを理解している出版社に話に行きたいと思う。DIYでやる予定だったけれど、さすがに厳しい。そして、自分の好きな出版社から出版されるなんてとても素敵なことじゃあないか。嫌いな人ではなく好きな人を見つけよう。それこそが何よりのカウンターなのだから。 みそもクソも一緒にして一時の消費の中に入ってしまう時代にあって、同時多発的に同じ感情を抱いている人がいることは、部族っぽい感じがある。同じ部族が様々な地域に散らばっている。自分の仕事をしていくことでそんな人達を見つけていく旅をしたい。それが一番楽しい。 僕はベストセラーでなくてロングセラーを書きたい。LINEスタンプだって全然売れていないけれど、すごく良いものだと僕は自分で思っているんだ。これからも一気にじゃなくて地道に売れていけば良いと思う。正直、一発屋のアートワークの方がウケるんだ。FUCK安倍みたいなやつね。 でもそれをやらない どんなに苦しくても表現するものは”一発あてる”という気持ちでなくて、”長く残す”という気持ちで作る。 そして自分が死んだ後もその仕事に生かしてもらうんだ。 自分の作った本や絵が死んだ後も少しの影響を少しの人に連綿と受け継がれ地球の中の小さな歴史として、自分の伝えたかったこと、意識していなかったけれど本当は思っていた言葉が刻まれていく

ここで日記を止めようと思ったけれどもう少し書く。”自分が何をしたいかより誰に必要とされているか”という言葉は嫌いだ。自分が何をしたいかが80%だ。誰に必要とされているかは、確かに、意識する必要もある。でもそこは自分にとって本質じゃ無い たまごが先かにわとりが先かという話になるけれど、自分が決めたことを貫いてその先で必要とされるようなイメージだ。自分の家系で僕みたいな人間はいない。そこから自分は入っている。 江戸時代の農民の一人が、歌舞伎役者になりたいと思った時、あなたはその夢を応援するか。 僕はする。 つまり、”自分が何をしたいかより誰に必要とされているか”という言葉と僕は共存することはできない。 農民をやってほしいと家族や他の人は思うはずだからね

嫌いな言葉がわかれば好きな言葉もわかるんだ。でもこの”物事には二面性がある”という意識から抜け出したい気持ちがある。ダイアモンドを作る工程に搾取の構造があること。そのことを、”ダイアモンドは綺麗だけれど、作る工程に汚い面がある”という言葉を書いて賢いぶる人間になりたくない。 その、言葉。 それは只の事実だ。 そこからどう感じるか。それが世の中だと思うか。それは許せないと思うか。それか、あなたにしか思えない何かを思うか。 何も感じなければ何もはじまらない