慌ただ

久々に絵が沢山描けた あんまり描けない日があった方が良いのだろうか。 なんというか、”表現する”っていうことへの憧れがあって、絵が描けない日なんかは特にそれを強く感じる。でもって、絵を描けばすぐに達成できる憧れなんだな。とっても軽い。 何十年も努力しなければ達成できない、憧れとは大違いだ。 この手軽さが良いんだなぁ。

今日のことが嫌いな人が 本を読んだり、インターネットを見たりして、いつの日か逃れられると信じているのだけれど、多分ずっと今日のことは嫌いなままだ。どうやって気晴らししようか。

ここ3日くらい箕浦建太郎さんの展示に行った以外はバイトしているか倒れ込んでいるかだったのですが、今日は活発。良かった。生理現象に任せて生きているのである。野生。

いよいよ、人口知能や無人機などが登場している現代でして、そのような流派に押され気味な人達が郊外に追いやられていますが、ここから徐々に逆転をしていきたいと思っています。VS全自動化 なプロレスのプロセスにいます。
マニフェストその1 LOVE偶然(自動化が見落としている要素は偶然だと思います)
マニフェストその2 祈りや迷信(自動化されるにつれ不合理な迷信は切り捨てられますが私はむしろそこに注目します)
マニフェストその3 ぶっちゃけどっちが楽しいか(科学を駆使した生活より原始人の生活の方が楽しいとしたらiPhoneを叩き割れば良いんじゃない)

生きている内には紙の本は無くならないで欲しいなぁ。なんというか、人によって意見が分かれるところだけれど。本を読むっていうのが、”情報を得る”っていう機能としてしか考えていない人がいると思うんだな。 そう考えれば確かに。紙の本は資源の無駄遣いだろうし、全てデジタル化すればかさばらないし。とっても良いと思う、だけれども、そんなに人間は効率的な生き物かっていう所だ。あの本が好きっていうのは、もしかすると内容よりも匂いとか、紙の感じとか、表紙の絵が好きだったのかもしれないし。 なんならこんだけ情報情報言ってる世の中が続くと、そんなものは無視して匂いとか紙を感じられる方がよっぽど重要な力のような気もしてくる。