住んでいる家のコワーキングスペースにあった、「ハッカーと画家」という本を少し読んだ。 ポール・グレアムという人は計算機科学とデザインと絵画を学んだ人らしい。僕は学び方として、こういう姿勢が好きなんだと思った。こういう学び方をすることで従来の職人芸とは少し違った、それでいて職人的なことができる。 僕は作る人だなぁとまた思った。頭が悪いので作るまで何もわからない。絵を描きはじめるまでどんな絵になるかわからなくてコーディングをはじめるまでよく
わかっていないし、作った後ですら理解できなかったりする。でもそこにはきっと正直さみたいなものも含まれているんだろう。

言葉にするっていうことには何種類もあって、普通、言葉にするのは説明する為、説得する為、伝える為で、そうじゃない言葉の使い方を自分がしている。 それは人に伝わらなくて良いと思っているわけではないけれど、何かをとる為に何かを犠牲にしている部分があるとしたら、伝えるということを犠牲にしている。
追求の為の言葉を勉強したい。 伝えることに躍起になると追求する為の言葉が使えなくなってしまう

広告では。誰にでも伝わる言葉を使おうという風潮があって、その中で切磋琢磨しているのだろう、誰にでも伝わる言葉を考えるのは容易ではなく、その世界にも意義がある、しかし、犠牲にしているものもあることを知らなければならない。少しの人にしか伝わらない言葉に価値があることだって多くあるんだ。 そこは、広告広告していれば犠牲にしなければならない。そして、僕はそうしたくないのだ

KOHHというラッパーの音楽を聴いて、どついたるねん聴いて、GEZAN聴いた、そんな日です。 音楽の中で言葉の意味が変わったり、限りなく薄くなったりする。テキストにすればどんなに妙ちくりんなことでも、”音楽”という名前をつけて、それを構成する歌詞になった時に、それはテキストとは呼ばない。 格好悪いことを歌って格好良くなったり、意味のわからないことを歌って意味がわかったりする。

ファッション、絵、言葉、音楽、そのほかなんでも。 まだ言葉になっていないしこれからもならないことはまだまだある。
上下ジャージでも全然許される人。 それができない人。 敬語を使わないと怒られる人。 怒られない人。 そこには、人は、年齢が、とか、そういうコトを言うけれど、そうじゃないってこと知ってる。 雰囲気という言葉が近いかもしれない。
雰囲気というのは、意識して作ることは難しい。僕はできないと思っている。 経験や、向かっている先によって日々変わっていくようなものだと思っている。

この人達、この空間、その言葉、は終わっていると思った時。そんな時があるけれど、それは数字とかデータとかの話じゃないんだ。 雰囲気とか、空気感とか、風とか。そんなイメージで、例えば、40歳のフリーターの人を良いじゃんと思う時があって、20歳の大学生を、もうダメだなこの人と思うことだってあるのでしょう。

今日でこのシェアハウスに住んで2週間目。最近は、シェアハウスの人達含め、良い出会いが沢山あった。昨日は転載万博を企画しているホームレス小谷さんに道端であって仲良くなった。 計画とかたてられない人なので、偶然に賭けて生きていくしかないな