8月13日のやつ

題「外国人的伝達」
essay2
あなたは外国人になったことがあるだろうか?

20歳の終戦記念日、中国を経由してタイ、バンコクに行った。中国からバンコク行きの飛行機に乗り遅れる。その時、僕は紛れも無い外国人であった。「アイムレイト」 「エアープレイン」 と何度言っても伝わらず、絵を描いて伝える作戦に切り替える。

永遠に会話ができないと思っていた中国人のお姉さんは、言語で無く、イラストを間に挟むことによって会話をした。無事、新しい航空券を買えることになる。

バンコクでは友人と安いゲストハウスを更に値切る。「トゥーエクスペンシブ」みたいなことを言ったが、あの言葉には意味は無かった。おそらく、宿泊料を安くしてくれたのは、金の無さそうな若者に見えたからだ。

外国人として見る景色は、周りの全ての人が素敵にも怪しくも見える。何を言っているのか全くわからない。

話しているその相手が何を言おうとしているかの判断は、何を言ったかじゃない。目の輝きや、ジェスチャーや、話す言葉のイントネーションや、その人のテンションの中にあった。 その時、僕の言葉も、聞こえてくる言葉も、意味ではなく音楽として存在した。

イタリア人とカリブ族の人と、何処かの島の人と酒を飲む。そこは、弾き語りのミュージシャンの居る場所だった。そのミュージシャンは、ジョン・レノン、ボブ・マーリー、ニルヴァーナ、ジミ・ヘンドリックスなんかを良い感じにカバーして歌った。

僕は、ジョン・レノンの曲が聞こえてくれば「ジョン・レノン!」と言った。 知らない曲が聞こえてくれば「アイドンノウ」と言った。ほとんどそれだけが僕達の会話だった。「ジョン・レノン!」という言葉はもはやミュージシャンのジョン・レノンとしての意味を失い、何か自分の感情を表す為の言葉だった。僕は外国人となったその時、「ジョン・レノン」という言葉で喜怒哀楽を表すことができた。あとは、「イェー」とか「ウー」とか言ってるだけで良かった。

意味は無くても出会いは楽しく、別れは切なく、怒ったりも落ち込んだりもした。

僕は意味として何も伝えられず、また、誰からも意味として何も伝えられることは無かった。 それでも一つ言えることはあの時一緒に酒を飲んだ謎の言語を話す人達とは会話をすることができた。

怪しげなタクシーに乗り、dustboxを聞いている時、僕は意味がわからないのに感動していた。

僕はそのポイントがとても気になる。意味を持たない会話をやりたい。

そう、そんな、ポテズムービーを作るのだ!

「ガッ!」「ポー」「ジー」「アァー」

そんな言葉だけで会話をする。

2015年8月13日