7月10日

もっと強く考えていかなければならない スローライフと言っている場合ではない 必死に生きなければならない 愚かなほどに落ち込んだり気分を上げたりしながら暮らしを進めていかなければならない 70年前の今日という日は、明日あの場所で会おうと約束してもその場所があるのかもわからなければ、言った人が生きているのかもわからなかった。そして、自分が生きているのかも。今の自分の、明日死ぬかもしれないのだからという言葉の軽さは何だ。人間が積み重ねた歴史に対して失礼な軽さだ。周りは軽くなれと言ってくる。

未来も夢も無いのだ。しかしそれは堕落を意味しない。ただ今があるだけであって、自分が死んだ後もその時の今という時間が続くのみだ。未来を生きることができる人間は存在しない 自分にとっては夢もそうだ。自分は自分なりに現実を見つめて現実に沿って生きているだけである それが他人から見て夢を見ているように見えるかもしれないが 自分は自分の現実を生きているだけである 現実というもの以外に生きる場所があるというのか。 夢を追うとか、未来に進むというのではない。運命を掴もうとしているのだ。既に決められていたことは過去形に変えてやれ デアル→ダッタ

今生きているということは、嫌でも命を削っているのだ。日が一度昇って沈む度に命を削っている気がするか。 そんな気はしないのが現代の人生か。

早く自分の役割に合わせて生きていく時間を捕まえたい。そうしたい。ではなくそうしなければならない。自分の向いている方向にもっともっと風が吹いて欲しい。吹かなくても進んできた。しかし吹けばもっと変わるという気持ちはずっと変わらない。実際的なことを言えば、もっと自分のモノを作る時間ができ、そういう環境ができれば、さらに多くを表現できるのだ。死ぬまでの時間に残さなければならないものと、残したいものの2つがある。残さなければならないものは意地でも残す。残したいものは残せないかもしれない。それでも後悔が無いようにしよう。

1日が過ぎるのを眺めていた自分に腹が立った。