6月26日の日記

風の音というのは、自分や、木や、ビルに当たっているから聞こえる
雨の音というのは雨が地面にぶつかるから聞こえる
もっと詳しくいえば何千の要素があるんだろう 一つや二つでは存在できない
三角形はあるが二角形は見えない
三角形は辺を一つ減らすことができない
三角形は最小の要素で構成されている
アドルフ・ロースは、装飾は罪であるといった。
三角形と四角形は明らかに違うが 二十角形と二十一角形は大して変わらない
その意識を自分は持たなければならない

真島昌利さんのシャウトを尊敬している。
ベースに、歪んだツインギターにツーバスに大音量のアンプで声をのせたシャウトよりも、寝る前に安っぽいイヤホンで聞いた、平成のブルースの最後、アカペラっぽいシャウトの方が叫んでいるというかんじがする こういう所から自分の感受性を知っていく やはり精神性というジャンルが存在する

カメラマン同士が出会い、アツく機材の話をして、撮る写真のことを何も話さなかったのを見たことがあるが、それは自分とは違う精神性のジャンル、宇宙の話である、そういう人達も必要だ それぞれ自分が得意なことを考えよ

カートコバーンは、あなたにとってギターとは何ですかと問われて、ただの死んだ木だと言った
僕はそこに共感と近い感性を覚える 僕はポテズを描くのに100均で買った筆ペンを愛用している 道具は何でも良いというのは、それを作るのに、色んな想いを込めた人達に失礼だ その道具が好きで売っている人達にも。
しかし、やはり自分にとって道具は道具だと思ってしまう 弘法筆を選ばずです このペンでないとダメだとか自分が言い出したら日和っている時だ 誰と友達とか制作環境はという話は5分くらいしかできない。 何を作るかだ 何を考えているかだ 関心が無い領域のことは関心がある人に任せて、自分が関心のあることをやる それが坂口恭平さんの言う資本主義であるし、何より一番世の中が上手く回る道であると思う とにかく、関心があることをやっていかなければならない

逆説的だけど、君は何で自分が興味を持てないことに興味を持っている人がいるのかに興味があるようだね。高校生の時にカラオケに言ったら友達たちが歌う曲を一曲も知らなかったことを思い出す 23年の期間があれば色んなことがある まだ若いとも思っていない まだ若いというのは尊敬する人達に言われることであって自分から言い始めることではない 影響を受けた人達に自分がならなければならない なっている最中だと自分を信じられることは中々良いことだ。自分を疑ったら、終わりだ

自分の気持ちと他人の気持ちが出会う中で、自分にとって興味がなく色んな人に興味があったことは、絵を続けるか止めるかという概念が存在していること
音楽でも絵でも文化? アクションというものは続けていくとか止めるとかではなく続いてしまうものであって、ヤメられないトマらないなのだ。活動とか制作という言葉に隠れ蓑した精神安定剤みたいなものだ。有名とか無名とかは関係が無い。日増しにそう思う 絵描きになるのに絵の学校に行って基礎を学んでから本格的にと言う人は結局やらない 小説家になるのにどっかの国で文学を学んで日本に帰ってきてから本格的にと言う人は結局やらない 音楽をやるのに演奏力をつけてから一緒にやれる人を見つけてデンデン言う人は結局やらない
今、描いて書いて鳴らせば良いんだ 楽器がなければ椅子でも叩けば良い

おまえ、道具を気にするなよ 環境を気にするなよ 出会いが何かを変えてくれると思うなよ
本格的になんてものは存在しない きっと本格的に見えているだけで、聞こえているだけで本人は何も知らないまま進んでいる

と、ACEで買ったMUCUのノートに6月26日の20時30分に書いたのでした。今はバイトから帰ってきたところです。6月27日の8時51分。時間のメモは、時間の流れの中に自分がまだいることを理解させてくれる 回って誤魔化す時計に対する精一杯の抵抗なのだ