2021年8月29日

千切れた配線にホームセンターで買った銅線を巻き付けて直した。 Appleの充電器。 銅線良いな。その気になればイヤホンとかヘッドホンも直せるのかも。 壊れたらすぐ捨ててしまっていたが、考えを直そう。 何かを直すということが結構好きだ。 靴の底はすり減ったらシューグーという固まるとゴムになる道具でいつも直して履いている。 靴を買う時も、シューグーで直した時に変じゃないかということを少しだけ意識しているような感じがする。 ハイテクシューズは変な感じになる。 何で変な感じなのかはわからないけれど。 破れたり汚れたりしていても一つの味、魅力になる衣服や靴と、そうであってはいけないものがある。これも何でなのかは良くわからない。が、確かにある。 原因は世間体? だろうか。 ジーンズは破れていても良いという市民権を得た。スーツは破れていても良いという時代にはまだまだなっていない。 結婚式とか、ビリビリのスーツの人いないものね。 いたらいたで面白いけど。皆ビリッビリのスーツやドレスで来るパンク結婚式。 新郎新婦入場!ハイ!ホー!レッツゴー!

結婚式という式自体をやる人が減ったような気がしている。時代によって何に意義が見いだされるかが変わっていく、いや、増えていく。 時代によって価値観が変わるのでは無くて増えていき、フォーカスされるものが変わる。そうすると、フォーカスを、解像度を合わせている存在というのがあることになる。人とかメディア。 ここがその人個人になった時に面白くなっていく。それに気づいたら自分がカメラマンになっていかなくては。写真を撮る。というのは風景を選ぶことだ。 写真の対象になるものは上下左右360℃にある。 そこにカメラを向けてシャッターを押せば写真になる。目に映るものには数えきれないほどの情報量がある。それはどこにいても、暗闇でさえなければ。その木はなんて名前で、どんな色で、どんな形で、どんな葉をつけていて、、一つの、木という存在だけでもものすごい情報量を持っている。その木が外に出ると何本も生えている。 勿論それだけではなく、道路があって、そこを車が走っていく。建物がある。小さい雑草があって、上を向けば空が広がり、雲はどんな形だ。空の手前で電線が伸びている。。数えようとすれば無限に文字になっていく風景というものがあって、そこのどこかにピントを合わせて切り取る。これが写真を撮るということなのだな。生み出すというよりも選ぶということをしている。全てが生まれていて、その中からどの部分を選ぶか。 もしかすると絵を描くことも同じなのかもしれない。

部屋を片付けた。めちゃくちゃになっていたから。こう、雑に括るなら、考えがまとまっている人と混乱している人の二種類があると思う。僕は完全に後者なのだが、こういう人は部屋を片付けた方が良いと思った。 頭の中を騒がしくして、周囲は整頓されている状態から二重の感覚が生まれる。 あんまり物を増やさないようにしよう。意識の混乱は道具の混乱。僕の考えた仮説なのだが、これを実践する。つまり道具の整理。しっかりやりました。本当は10日前くらいにやりたかったのだが、全然できなかった。この、できないということについても考えて、仮説としての解決策を生み出した。 大抵、できない時は義務感に追われている。お腹が空いている時に、目の前にご飯があって、食べる気にならないということがあるだろうか。この場合には食べることが欲を満たすという構図になる。逆にお腹が一杯の時には、せっかく作ったんだし、とか、そういう、仕方ないとか気が進まない義務になる。

この空腹だからご飯食べたいシステムを片付けに応用するのだ。 こうこうこういう風に模様替えしようかなとか、こういう椅子があったら良いかもとか、そういうことを考えながら片付ける。 楽しいことにするのだ。 さすがにこれはまずい… やらないととなると先延ばしにしたくなってくる。 面倒さに対して先手のイメージを持つ必要がある。片付けることで欲を満たすのだ。