2021年8月28日

お、充電できた。2週間近く日記を書くのが空いてしまった。 配線のちぎれかけたAppleの充電器と2011年製造のMacbook Pro。このパソコンはこの日記を書くのとPhotoshopとIllustratorというデザインツールを使う時しか起動していない。それらもiPhoneでやってしまえば良いのかなとも思うが何かそこと向き合うテンションが変わってくる気もして、文章を書くのはパソコンという頭から抜け出せないでいる。

このところ今までやっていたような抽象的なドローイングは全くやる気でないからやっていない。そこで待っていたのはそれまでより普通っぽい暮らしだ。自炊をしたり、筋トレしたり。夜は寝て、朝は早く起きる。 あれ、こっちの暮らしの方が良いのでは。 筋トレは寝酒と称して酩酊に頼る自分を情けなく思って始めた。 2年前くらいまでジムに通っていて、その時は一人で酒飲むことそんなに無かったなと思い出したのだ。肉体的な疲れを感じていないと一日の終わりに悶々としてくる。人間が農耕民族なり狩猟民族なり遊牧民族として暮らしていた時のことを想像してみよう。恐らく現代の暮らしより肉体的にハードなはずだ。 現代の暮らしもハードかもしれないが、それはどちらかというと気疲れだったり、精神的なものが強いと思う。その人がやっていることにもよるけれど、2021年の日本語で疲れたというその言葉が持っている意味合いは、身体がバキバキだ、腹筋が痛いということには中々ならない。でもでも、時代にそぐわずそれにしていきたいな。 意外に、全く疲れずに一日が終わるということを人は苦痛に感じる生き物なんじゃないかと思っている。 今日はスクワットと腹筋をした。やった後に卵を食べることを心がけよう。はい。タンパク質ね。

ドローイングはやる気無くなっているが絵本は俄然やる気が。何って、自分は今の段階ではナラティブな形に集中した方が良くなっていくということを確信しているからだ。バチッと一つを飾る感性はまだ足りないので、、 いくつかで流れを作るのは結構上手いんじゃないかとも思う。自分で言うのも変だが。そうすると冊子とか、4コマとか、そういう時間の流れがあるもの、絵画と音楽の間にあるもの、そういう形を作っていく。 これから文章も変わっていくと思う。 もしかすると一旦下手になってしまうかもしれない。何って、思考の為の思考、もうこれドツボに嵌るしかないやつだという時にサッと抜け出すようにしているからだ。その先の景色が見たい