2021年7月3日

少し川沿いの道を走った。 昨日読もうと思っていた北米インディアン生活誌は結局読めず、というか読みたかったが見当たらず、多分スーツケースの奥の方に閉まってあるんだろうな。 棚の上にぽんと置いてあった、覚醒への旅 瞑想者のハンドブックという本を読んだ。 こんな本持っていたの久しぶりに気づいた。時間が経つと、こんなの描いたっけという絵があったりするように、本もそれがでてきた。今の所洋服はそれがない。あそこで買ったわ っていうのを思い出せる。この、覚醒への旅を書いたラム・ダスさんという人、60年代〜70年代にかけて、アメリカの若者にヨガと瞑想を初めて紹介したヒッピーの先駆者という人らしいのだが、事物をあるがままに見る。 幻想のヴェールを引きさく。神を知る。と、思い切った言葉が紙に淡々と印刷されていて、電車の中で読んでいると若干人目が気になる。ぶっちぎれって。 読書にも色々あるなということを知る。 それで色々を固くならずにあるがままやりたい。 共感するという読み方、そういう世界があるのかという読み方、わけわからないけど何か引っかかるという読み方、まだ色々あると思うけれど、一応どの読み方も拒否せずにできるようになりたい。鑑賞や知ることについて、共感を軸にすると幅が狭まっていく。そうして自分のあり方を明確にしていくという考え方もあるかもしれないが、僕は練り消しみたいな、柔らかくぺたぺたと色んなものを吸収できるようにしておきたい。触ればひっつく。 そういえば音楽にハマってめっちゃ聴いていた時もそうだった。最初はイギリス、アメリカの昔のロックだけを聴いていて、めっちゃ好きだったがだんだんと、こういうギタリストとかいない音楽もあるのにそれを聴かないのはおかしい みたいな強迫観念に取り憑かれ、なるべくロックじゃないものを意識して聴いていた時があった。あぁ、これは全然好きじゃないなとかなったりしてもロックを離れる、離れる みたいな謎の方向転換、しかもそれも誰かと話を合わせる為とか、そっちの方が格好良いと思う、とか、そういうわけでもなく、ごくごく個人的な欲求としてそうしていたのである。 これが結構不思議な所で、大抵人の話を聞くと、ハマったものをどんどん追求していって自分の好みに辿り着いていっているのだが僕はむしろ自分の好みをどんどん混乱させ拡張していっていた。 本当に好きなものというのは永遠にわからないのではないかとも思える。 ある意味では作りたいという欲求はそういう所から生まれているかもしれない。 これが好き ということをアイデンティティにする為には割と好きなものを絞っていく必要がある。 ただそれが、音楽が好き というくらいの抽象度でアイデンティティにすることはできなくもないがざっくり過ぎる感はある。 そりゃ、音楽嫌い! みたいな人あんまり見たことないもの。音楽が好きだ。

今はとにかく眠たい。動きが野生の小動物みたいになっている。 この位疲れている方がぐっすり寝れるので良し。