2021年7月24日

パソコンの調子が良くなく日記を書くのが止まっていた。ドローイングは具象を含んだ抽象的な感じになってきている。筆跡の否定を繰り返して新しいレイヤーを作る。作るというか、できる。自分の意図したことがそのままというような感じではなくて、どこかミステリアスな他人のような雰囲気で接することができたら良いなと思っている。 そっちの方が飽きずにいられるというのと、自分が持っている可能性みたいなものを超えたいというのがある。描くものに筆で連絡をする。 と、一応の枠組みは自分で持っておくということが大切だな。なんだか取り留めの無い考えだけれど、絵を描くにはこの位の意識の使い方が良いみたいだ。あんまり理屈がバッチリ定まっているよりはわかることは50%くらいの方がやりやすいというか、絵にしたり、理屈以外である理由がでてくる。 最近は行っていないけれど、美術館やギャラリーに行くと大抵作品や作家のキャプションがあって、それを見て、なるほど、わかりましたみたく思ったことが無い。このことを、いまいち僕は要領を掴めていない人間というか、ちょっと馬鹿なんだろうかと思ったりしたのだけれど、それで良いのだ。キャプション、テキストだけでわかってしまえば絵があったりしなくても良いのだから、作家の人としても何か考えを100%伝えたいというよりはある種のエネルギーのようなものを作って考えというのは鑑賞者に委ねるという方が良いのかもしれない。というか100%伝わるということはおそらく無いので、そんなことは最初から諦めて、誤解や曲解も含めてしまうような形を作るというのが現実的なことなのでは。そしてそれは悲しい話とかではなくてロマンでもある。 そんなわけで、色んな頭を使えるようになりたい。 こういうテキストのテンションでビジネスメール的なのを送っちゃダメだ。 逆に正確に伝達するというテキストのテンションは何かを作る頭には合わなかったりするとも思う。 日本語を使い続けていてもその中でも何カ国語も使うような感じになっていかねば。 例えば、何日までにこういうのを描く。とか、そういうことは伝達だったり約束だったり、そこにはYES or No 達成なり未達成なり、そういうことがでてくる割合と世間的な言語であって、それはそれでできるようにしていこうとしているが、その頭で作ることに向き合うと割とせせこましいというか、もう少し柔軟であった方が良いのではないかとなる。 ここでは私の小宇宙が! みたいなことで全然良いのだ。

わけわかるがつまらないものに寄らず、わけわからなくもならずにできあがるものを高めていららればきっと良いものになる。

デニムのペインターパンツを洗濯して調子が良い。洗濯する前より身体に馴染んできている。シュリンクトゥフィット。 こういう最先端ではないアナログな科学みたいなものが好きだ。 炭を置いとくと消臭ができるとか。 そしたら消臭剤ってなんなん、それでできるんだったら みたいな。何気に昔からできることであった。 とか、手間はかかるけれどこうしたらできる。とか。 洗濯機が無い時代にも洗濯をしていたわけで、テレビやネットが無い時代でも人は生きていて何らかの方法で情報収集をしたり発信をしたりしていたわけだ