2021年7月2日

昨日酔っぱらって雨に濡れた鉄製の階段で勢いよく転んでしまい思いっきり腰を強打した! 今もかがむと腰のやや右側が痛い。お酒、飲むならもう少し教養ある人風に飲もう。 誰かといる時は良いのだが、一人で飲んでいる時はほぼ自傷行為である。子供の頃、ホチキスの芯を指に刺して遊んでいたのを思い出した。なんだか危ない人みたいだがそういう人は結構いると思う。もしかすると、自分の身体を傷つけたいという欲求を持っているのかもしれない。 ここを見つめて生産的な方に傷つけよう。 生産的に傷つけるってなんだよという感じだが運動一択である。 筋トレとかジョギングとかは生産的自傷行為ということもできるかもしれない。 そういう方向にシフトしよう。今日は酒飲みたくないのは疲れているからだ。 がぶ飲みしてしまう時はすごく嫌なことがあった時、あと疲れていない時だ。 疲れたい、消耗したいという欲求があることに気づいた。

人にもよるけれど、子供の頃は運動をする。無駄に走り回る。大人になると走り回らない。これ、僕は大人になると自ずと走り回りたいという気持ちが無くなるのだと思っていたのだけれど、もしかすると、社会的に走り回れないから走り回らないだけで、本能としてはスーパーで走り回っていた時のままなのかもしれない。代替案として酒を飲んで疲れる。もし、子供界で闇雲に身体を動かすことが禁止になったらへべれけの小学生が続出するかもしれない。 なんて妄想は置いておいて、これから自分がどうするかだね。運動をするのだ。

絵を描く道具を整理した。路上で絵を描いた時のことを思い出して、その時必要な行動が道具を整理することだった。なるべく、最小限の道具に絞った方が動きやすく、ストレスも少ない。路上でなくてもこの向き合い方でやってみようと思ったのだ。遊牧ドローイング。 制作上の混乱というのは意識の混乱という風に考えていたのだけれど、もしかすると道具の混乱なのかもしれないと思った。 過ぎたるは及ばたるざがごとし、ありすぎると何もできなくなるかカオスに突入してしまう。

どういう道具のセットにしたのかを書き留めておかなくては。


色鉛筆、クーピー、ボールペンとミリペンが入ったプラスチック製の箱(大)。

ごちゃ混ぜで入れておいたが故に色んな色が混ざってしまったクレヨンをいれてあるプラスチック製の箱(大)2。

カラー筆ペンが入ったプラスチック製の箱(小)。

カラー筆ペンと慶弔筆ペンが入ったプラスチック製の箱(小)2。

24色入り岩絵の具、これは元々箱に入っている。

8号サイズの筆

筆洗い

雑巾


アクリル絵の具とメディウムを排することでかなりコンパクトにまとまった。机が2つあるので、右側の机には画材達を置き、正面の机で絵を描く。 椅子が結構固くてお尻が痛いのでもっとクッション性がある小さい椅子があったら良いな。

岩絵の具と慶弔筆ペンは結構作ることのミソになりそうな感がする。 デジタルでだせない味を作りたい。絵に陰影はつけないが、にじみやかすれが欲しいと思った時にこの2つが活躍するはずだ。 カラー筆ペンはもしかしたらいらないかもしれないが、強い色を入れたい時に使おう。 もしいらなかったらこれも無くそう。道具は減らして想像力を増やす。そういう意味ではテキストを書くというのは自分に合っていることではあるのだ。あとはアコースティックギターとか、ダンスとか、そういうのも合っているな。 あと全然やったことないけどスケートボード。 その代わり僕は一輪車が得意だ。サーカス団員になりたくてサーカス団員になる為の専門学校を調べていたことがあった。 実際、その時サーカス団員専門学校見つかったのである。 生徒は3人とかで、どうやって成り立っているのだと不思議に思ったが、まだあるのだろうか。 そういう、ニッチな目標も掬い取れるような社会があったら面白いな。

自分で書いておいてなんだが、道具を減らして想像力を増やすというのは結構良いアイディアだ。 そして、成長したことに僕はこれを正解だとか、普遍的なことだという風に思っていない。前はいつもそういう風に思ってしまっていた。 僕は正解しているのだということを動機にしてしまっていた。 今は単純に自分に合っているというだけで他の人はわからないという風になってきた。 結構、正解を巡って争っているニュースやなんかに疲れてきたのもあるかもしれない。AかBかと聞かれているのにCを見つけ出すオルタナティブな感性が欲しい。計算して正解を導くのではなくて魅力を生み出すこと。 生み出すというのは見つけるということだ。 あんまり自然というものに興味が無かったのだが、段々興味がでてきそうな節がでてきている。 これは興味があるというのとも少し違う。興味がでてきそう、何かヒントを感じられそうな感じがするという曖昧なもの。何を書いているのかわからなくなってきたが、それを見つけていきたい。

自然とふれあって生きる人の本を読もうかな。 自然についての本は自分にとって少しハードルが高いような感じがするが、そこにふれあって生きる人という翻訳者が入ることによって興味を作れるかもしれない。 と、結局読んでいない北米インディアン生活誌っていう本あるじゃん。俺! 明日はそれを読むことにしよう。楽しみだ。 こういう些細なことを楽しみにしていく。