2021年7月18日

沢山身体を動かしたので良い感じに疲れている。 自分は多少疲れていた方が冷静になれて良いな。 特に絵を描いたりこうして日記を書いたりする時にそう思う。有り余っている時は踊り狂ったりしてる方が楽しい。 奈良美智さんとパンクバンドの人の対談?みたいなのを紙面で読んだことがあって、歳を取ると体力は落ちるけど体力を使うタイミングがわかるっていう言葉をなんとなく思い出している。 僕はまだまだ力の入れどころをわかっていないのだろう。 ただ、力みまくった思い出があった方が良いとも思う。 全てをクールにこなした人生だったと振り返ってもモヤモヤする気持ちがでてくると思う。 やや、精神論はもう少し弱めにしていきたいのだった。もっと他のことを知りたい。相変わらず電車では鎌倉謎とき散歩を読んでいる。この本、100円で買ったのにこんなに楽しめちゃって良いのだろうか。 とにかく古本の値段というのは謎である。 結構、将軍の名前が難しくて読めなかったりするがその時は勝手に推測の名前を当てはめて読んでいる感じがある。つまりそんなに真剣に読んでいるわけではない。 なんかそういう、肩肘張らない読み方も良いなと思った。 息抜きに読書をする人もいれば研究、勉強、みたく読む人もいる。 そんな電車の中での息抜き読書から感じたこと、鎌倉謎とき散歩というタイトルの本だけあって鎌倉が日本の中で強い存在感を持っていた時代、つまり鎌倉時代の話が沢山でてくるのだが、これ、多分中学生の時に勉強したのだろうけどほぼ全てがうろ覚えで、なんだか新しく知ったことのように思えて面白い。 勿論、教科書的なことだけでなくてもっと深く突っ込んだことが書いてあるのだけれど。

いつの時代でもそうなのだろうが人間の歴史というのは謀略と争いばっかりだ。冷たく見るとどの時代もあんまりロマンチックじゃない。弟殺すなよ!みたいな。ただ、残った文化的なもの、彫刻とか、建造物とか、絵とか、そういうのはロマンというか、ただ関心を持ったり敬意を持ったりできる。そこにまつわるものは綺麗なことばっかりではないだろうけど、そうしてシラケていくと全てがシラケていく。ある意味表面的に見ていたいというのもある。 僕はクリスチャンでは無いけれど教会のステンドグラスとか綺麗だなと思う。 そういう、制作者の思想や意図とは別の所で楽しむ人がいるということが今気になる。 そして、おそらくその、ある種の適当さが無いと全く話の合わない人というのがでてくる。 つまり僕も作る人として適当に鑑賞されるということを拒んではならないということに気づく。 というか、深い所が伝わらないことに苛立つとかそういうのを止めることだな。 それで苛立つのであれば僕は苛立たれる理由が四方八方にあるだろう。 穏やかに、それでいて本気に作ることと向き合いたい。結局精神論になった。