2021年6月30日

お腹が空き過ぎて焼きそばを作った。 フライパンに油を引き、舞茸を入れて5秒ほど経った時に舞茸から沸き立つ匂いがお腹を鳴らした。この匂いはなんて言うのだろう。 匂いを表現する言葉は色々あるけれど僕のボキャブラリーの中には無い幸せを感じる匂いだ。 五感というものがあるけれど、その中でも嗅覚というのはあまり意識されない感覚な気がする。 ただこう、お腹が空いて死にそうな時の食べ物の匂いというのは生理的な部分を揺さぶられる。 お腹が一杯で死にそうな時の食べ物の匂いはどうでもいい感じがある。それどころかちょっと嫌だったりもする。なんたるご都合嗅覚。 しかし人間に限らず動物というのはそういうものなのかもしれないと思った。

視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚と5種類あって、嗅覚と同じくご都合感覚のものは他にもあるかなと考える。味覚はそうかもしれない。 で、嗅覚と味覚というのはかなり密接なものだという感じがする。 まぁ、人一人が一人で持っている五感なのだから全部結びついているのだが、その中でも近いものと遠いものがあると思う。 例えば聴覚と味覚という組み合せだとあまりこれだという情景が思い浮かばない。音楽を聞いて味を感じるというのは唐突な人か、共感覚を持った天才か。フライパンで舞茸を炒める音と味覚だとどうだろうか。確かに、味覚がうごかされ、ちょっとよだれがでかける時があって、結びつくような感じがするが、僕はどちらかというと舞茸の匂いに味覚が影響されていると感じる。 例えばフライパンで炒める音や食事にまつわる音を録音してイヤホンで聞いたらどうか。 美味しそう、とかそういう風に感じるだろうか。僕は多分感じないだろうな。

この、五感各々の結びつきというのが気になる。ここも少し研究対象にしていこう。 五感の結びつきを研究した先人がいたらその人の本を読みたい。

ふと、神話は五感で説明できない状況に遭遇した人達が作ったのではないかと思った。 唐突。 虫の鳴き声というのはどこから聞こえているのか分かり辛い。 セミとかそういう、鳴き声をあげる虫がいるということを知らずに森の中に入るとどうなるか。 視覚としては何も見えないのにどこからか不思議な声が聞こえ、その音に包まれるのである。 音がするのに発生源がわからないのでその人の中で整合性がつかないのである。 しかし音はする。 もう恐ろしくて逃げ出した人もいれば、立ち尽くしてその音に聞き入った人もいるだろう。そこでそれを伝えたりするのだがどうやって伝えたら良いかがわからない、という時にあれこれと考えを巡らせた結果生まれたのが神話なのではないか、と考えると世界各地で神話に被っている部分があることも納得できる。 僕のただの空想であるが、神話を形成する一部分はこういうこともあるかなと思った。

空想というのをもっとやってみようと思っている。 部屋にある使い方間違えている小さい本棚と横向きに置いたスーツケースの上に積まれた本を見る。 僕は読む本に関しては結構、空想的なものを避けてきた傾向があることに気づく。 今左を見て、僕の目に入ってくる本の名前は、モチーフで読む美術史、新書アフリカ史、中国の思想、東京都の歴史散歩 の4つ。どれもわりと、著者の作った考えというのはスパイスぐらいに留められ、メインは歴史や史実になるべく忠実に、客観的に書かれた本だ。 僕は本を読む時はこういうのを読んで、映画はあまり見ず、見る時はドキュメンタリーが多かった。

次に買う本は空想的なものにしてみよう。そこから個人が持っている世界観を表現することをどうやって広げつつまとめているかを学んでみたい。