2021年6月21日

僕自身は一冊しか持っていないのだけれど、ソ連の絵本の雰囲気が好きで良く行く絵本屋さんで手にとって眺める。ストーリーに派手な展開みたいなものが無く(これはソ連関係無く絵本というものが持っている性質かもしれないが)、軽やかさとシンとした空気が閉じ込められているプロダクト。良い紙。高級な紙というわけではなさそうだが趣がある絶妙な分厚さと手触り、製本はハードカバーでなくてホチキスで留めてある。シンプルな紙の集まり。それらは長い歳月を経て日焼けしてところどころ錆のように赤みがかっていたりする。印刷されている絵の色味も不思議だ。 赤色や黄色、橙色などの暖色の印刷も少し青みがかっているような感じがする。 その青みがかった雰囲気もあってか、寒い地域の制作物、小さいぬくもり、、

余白を大胆に使っているのも特徴だと思う。 紙面を埋めようという気負いが無いような感じがして、この侘び寂びにも似た雰囲気が独特な、不思議な気持ちにさせる。 ロシア語が自分にとっては馴染みが薄くて全く読めないものなので、それもあるかもしれない。何か別の惑星からきた文書のようにも思える。

絵本屋さんに行き、良く店主さんとお話をさせていただくのだが、そこで聞いた面白いこととしては、ソ連は社会主義の国であったので、民間企業が印刷所をやっているということは無く、国営印刷で絵本を作っていたのだ。紙面を埋めようという気負いが無いような感じがしたり、独特の軽やかさを持って感じたり、そういうことは作家の技術というのも勿論あるけれど、そういう、社会情勢やお金の流れというものが絡んでいることに気づかされた。 これは経済の勉強をしていた人の経済としての角度として考えれば当たり前のことなのかもしれないが、僕にとっては発見であった。新鮮に感じた理由の一部がわかったような気がした。僕が生きたことの無い社会体制の中で作る作家の人の表現だったのだ。触れたことのないものに触れることで新鮮と感じることができる。少し、表現とお金の関わりというのに興味がでてきた。それは今まではなんとなく暗くてドロドロとした響きとして僕の中で結びつくものだったが、そこから思考がすこしずれはじめていることを感じる。

1922〜1991年までのロシア大陸から2021年の今日記を書いている自分の意識に目を向けよう。子供の頃より明らかにポイントカードの類が増えているような感じがする。これは一体何なのだ。何なのだというのはいつも、それが良いとか悪いとかそういうことではなく、不思議に思うのだ。それのメリット・デメリットということではなく仕組みが気になる。どうやって成り立っているのだろう。ちょっと調べたがあんまり意味がわからなかった。それでいえば携帯料金の仕組みというのも何回聞いても意味がわからない。それはわかりたくないというのではなくてわかりたいけどわからない。理解させないようにわざと複雑にさせているのではないかというぐらいに思ってしまう。 そんなわけで、普通にメリット・デメリットくらいしか考えず携帯の契約の種類を今日変えてみた。ahamo.

そういえば絵は自分の作るものとは関係無い模写をやりはじめている。模写といってもめちゃくちゃ軽くてその言葉が当てはまるのかわからないのだが、、 僕は二次創作というものをやる人の動機がわからなかったのだが、少しだけわかってきた。これは読書みたいなもので、その人の線や色を読むみたいなことなのだ。そうしてその知識というか感覚みたいなものを自分の中に取り入れる。読線、読色。 日々修行あるのみ!