2021年6月15日

昨日日記書くのを忘れてしまった。 なるべく毎日書くぞ。寝る前に書く用にしているけれど起きた直後も良いかな。どっちが良いかな。 寝る前のが内省的になる感が自分の中である。noteというアプリで見た、ジュウ・ショさんという人の文章がすごく面白くてずっと見てしまった。 美術史をユーモアを交えて解説したり、様々なカルチャーのことを他の分野のことに例えて書いていて、脱線しつつもしっかりまとめる。 書く対象について敬意と情熱を持って書きつつ、ちょくちょく笑わされる。 しかもめっちゃ深い。 世の中の広告的文章ににじみ出ている 簡潔にわかりやすくを盲信して大切なものを無くしているわけではなく、かといって消費されないように難しくしているわけでもない。 あと、新鮮な印象を受けたこととしては、通っていた博多区の中学校はガラが悪いことで有名、 という言葉と、マルク・シャガールという名詞を同じ文章の中で見たこと。宇宙も林檎も言葉の上では同じテーブルの上にのる。こういうこと考えはじめると生きている内のどこかのタイミングで文学を勉強してみたい。 先生から古典を教わり、君はどう思うと聞かれて僕はこう思いますと答えてそれもそうかもしれないが私の解釈はこうだ それで君はどう思うという答えがでないことが不毛なんて考え方がここじゃナンセンスだという金がかかるわけでもないのに贅沢な世界。 文学ってそういうものじゃないのかもしれないが、根拠無き空想が広がる。

日本語が面白いと思いはじめていることに気づく。 まず異常に難しい。僕はめちゃくちゃありきたりだが英語圏で生まれ育った人が本当に羨ましいと思っていた時がある。それはその言葉を話したり書いたりできる人がおそらく世界で一番多いというのもそうだし、何より英語を構成するA〜Zまでのアルファベットというものは26文字しかないのだ。A〜Zという大文字とa〜zという小文字があるがそれを足しても52文字。 そうなると英語圏の国語の授業というのは文字を学ぶことはすぐ終わってしまう。漢字テストみたいなものは存在しないのだから、綴りを忘れたということはあっても「書けない」みたいなことってあんまり無いのでは。 それと比べると日本語というのはほぼ誰も書けず読めない漢字すらあるめちゃくちゃ非効率かつ余程の観光地で無ければ日本国内でしか通用しない、不思議なガラパゴス語だということになる。なんか損しているなと思ったこともあったが今はこの言葉を気に入っている。使う人は少ないかもしれないがこの言葉にしか無い感情や表現がきっとある。

絵のことを計画しよう。僕の中からでてきた、「ミニマルな手触り」というワードからなるべく最小単位でできることに集中しないとと思っている。 日本語にしか無い感情とか書いといてここでミニマルという言葉を使っているのがちょっと引っかかる感じはあるが、直訳して「最小の手触り」という言葉になると自分の中でなんか違う。当てはまる言葉は他にも考えてみよう。とりあえず今年中には自費出版でPote and friendsのコミック集を作る。 ここで思っているのは別にこの名称じゃなくても良いかなってことだ。他の言葉の方が当てはまるのであればその言葉にしたい。それについても考えてみよう。とにかく僕の描く小さいキャラクターが沢山でてきて、セリフを誰も喋らず、非言語性、無言語性、手触りと愛のある無国籍ミニチュアみたいなものを作りたい。 来年はそれを売る。僕はこれを国外に向けてやった方が良いと思っている。やったことない営業をしてみよう。拙い英語でプレゼン資料みたいなのを作ろうかな。 今までの日本でのやり方だと非言語性があんまり活きていないという気がする。 それが面白いと言ってくれた人もいるし僕もそういう風に思っているけれど、あくまで日本で、漫画を書くという意識でいるとやっぱり日本語を書いた方が良いという結論になってしまう。 それだと僕の中でなんか違う。 そもそも、セリフを入れないというチャップリン方式でやろうと思ったのは散歩したり世の中のものを見たりして、世の中の商品、もしくは作品というものがセグメントされ過ぎだと思ったからだ。物事は時間が経てば経つ程細分化されていくのかもしれない。 これはこうこうこういう人向け、それはこうこうこういう人向け というのがしっかり区切られているのである。 そういうジャンルや区分けに向けるのではなく個人に向けていきたいと思っているのだ。そういうごくごく個人的に向けることというのは案外、様々な縛りを越えるのではないかと思っている。皆自分の世界に入って楽しく踊っている場面を見たことがある。そういう時間のことを信じて作っていこう。あとはしっかり計画することと寝ること。 もう僕の場合は誰に合わせたら正解なのかとかも無いし誰に合わせたら得するのかっていうのは格好悪い。

そうなると自分の胸に聞くということしかなくなってくる。 その意識で作っていって、お気に入りの自信作を作って、誰がどういう理由で何を感じてくれるのかわからないものにしたい。 そんなむちゃくちゃ不安定なことをまともな企業はできないので個人としてやらねば。

明日からは制作しながら海外の書店を探そう。書店じゃなくても良いのだけれど、愛をもって運営している実店舗が良い。行ったことないのに好きなお店を作ろう。 ここで、いきなり日本の知らないやつからこんにちは 僕はこういうものなのですがみたいな連絡が来た所で鼻であしらわれるのではないかと思うし基本的にはその体で考えていた方が良いけれど(ショックに対する保険)  逆に僕のような人を求めている人も案外いるのではないかと思っている。

2022年に実店舗で本を売るお店をやっている人のことを考えてみる。この時点で、とにかく儲けよう、関わって利益にならない人とは関わらないというタイプの人では無いとほぼ断言できるだろう。 多分、もっと儲かることはある。ただそれを第一義にせず、空間を作って人の顔を見て売ることを愛して、沢山の有名無名の冊子に触れて目も肥えてるめちゃくちゃ格好良い人だ。素敵だ。この人今のところ架空の人物だけど絶対出会うはず。仮にレオナルドだとしよう。 あぁなんか久しぶりにテンション上がる。最高だレオナルド。 迷ったらレオナルドに見せるのだという気持ちで判断するようにしよう。 すぐ血迷う所があるので、もう、「普通の人」に見せるのだという意識を止めよう。いや見せたいんだけど。ただこれを作っている時点で影響を受けたりアドバイスを貰ったりするとわけがわからなくなる。オープンマインドでいるけれどある程度閉じる、篭るっていう意識が自分にとって作ることに必要なことなんだな。だいたいなんだ普通の人って。そんな人いない。でも文句は言わない。そうであるならばどういう人に向けて作るのかを考えなきゃいけない。 今生きている個人が個人的な動機で何かを作っていて、それに触れて色々考えたり解釈したりするのがエキサイティングだ、誰がなんて言うかはわからないがこれは良いよ、面白いって思うことができる その一人だけに向けるのだ!!