2020年7月9日

なんだか時間を無駄にした日であったが、2コマ描けた。 結構、ジュエリー作りっていうテンションは自分に合ってるかも。 それも、ミリ単位のジュエリーでなく、偶然を活かすジュエリーだなぁ。

昔、何で見たのかは失念してしまったのだが、ガラス職人の人のドキュメンタリーを思い出す。 ガラス、グラスを作るのに、気泡が入ること、ムラができることは失敗だと考えられているが、その人はどうしても気泡が入ってしまう。 その人はその後どうしたかというと、気泡を除くのではなく、むしろ気泡を入れることをどんどん取り入れていって、デザインとして昇華した。 それが、なんていうグラスの名前だったんだっけな… 肝心なところを忘れてしまった。

少し調べてみると、そのドキュメンタリーでは泡の存在は疎まれていたが、色んな国や年代によって、泡を取り入れたデザイン自体は受け入れられていたみたい。

産業として作る時に「ムラがある」ということは、再現性が無いということになるので、均一、均質にしたいという意識が働く。 作家として作る時には、人にもよるかもしれないが、そういうことはその人の味として認識される所がある。人で集団であっても、企業の味とか、国の味というものもあるかもしれない。

古着が好き、アンティークが好きという人に出会うと、、 作家性を持った産業が好きなのかなと思う。 一応工場で作ったりしているが、そこに作家性、独自性があるという。 今はあんまりそういうの無いと思う。 だから昔のもの、そこに生産性を追い求めているけれど、現代の観点からすると暖かみ? ある意味生産性とは真逆ともいえるこだわりがあるものが好きなのかな。 ミーハーだけど自分もそういうのが好きだな。 ディープ。

綺麗な歌がドロドロしてたり下ネタがスマートで上品だったりさ! 一元的に決めることは無理がある。 誰でもニュアンスの世界で生きている。

文章としては残さず、口で伝える文化や宗教というものがあるけれど、それは、そういう極めて曖昧な差異を伝える為にそうしていたのかもしれない。法律なり憲法なり、絶対にテキストがあるわけだけど、 大抵解釈で揉める。 それは、テキストっていうものにできることに限界があることの表れなのかもしれない。

明日調子良かったら残りの4コマも描こう。 これはテキスト無しだぜー