2020年6月27日

自分が生まれる前はペットボトルの代わりに瓶を使っていたのかー。

1年前くらい、自分の生活から生まれたペットボトルの山にビビって、なるべく水は近所のスーパーの浄水器で汲むようにしている。 その浄水器はたまに人が並んでいる。現代の井戸である。

2017年の日本のペットボトルの出荷本数は227億本だという。 また人口を越えた。 これを砕いて、リサイクル。 ペットボトルをリサイクルしてペットボトルを作ることを、ボトルtoボトルというのだという。 そういうのは自力でできたりしないのだろうか。ワークショップみたいなのがあったら参加してみたい。 1人リサイクルをすることによって、世界のリサイクルを理解する実践。紙も絵の具も自分の生活から生まれたゴミで自分で作ったりとか。。

急にゴミが気になる。 ゴミとして生産されるものは無い。 製品がゴミになるのは用途がなくなった時、役目を終えた時、、 器は割れるまでゴミにならない。 プラスチックの容器は中身が無くなればゴミになる。 集めてる変わってる人もいるかもしれないが。 あとは、気に入らなくなってゴミという判断をされるというパターンもあるか。 それはその人にとってそのプロダクトが役目を終えた時ということもできるな。 昔、ゴミ収集をしている人に靴とか自転車とかもらいまくってたのを思い出す。 ゴミじゃないじゃん! 自転車じゃん! みたいな。ちゃんと循環すれば皆が幸せ。 いらない人と欲しい人が出会わなかったからゴミになったんだな。

ヤフオクやメルカリ未満だが価値のあるモノというのがあると思う。 売ってもまぁ1,000円くらいかなという時に、送ったりするのが面倒くさいのでゴミになってしまう。

やや無理矢理だけれど、地域社会があることはアツいことだ。洗濯機買えねー,, みたいになってる人の隣の家で洗濯機いらねー になってる可能性もあるのだ。 しかし!土地によるだろうけれど、2020年は、ご近所付き合いという言葉はなんとなくネガティブなイメージがつきまとう。そんなわけでご近所循環の経済が中々できない。各家庭に電話が無い時代はきっとご近所循環しまくってたのだ。 そんな時代に沢山トラブルがあったのだろう。なんだか、知らない人はとりあえず勘ぐろうみたいな空気が徐々に蔓延し 今や引っ越してきても表札も掲げず、近所の人に上辺の会釈をする人達で街ができてしまった。そして今のところ僕もその一人である。

ただ、そういうアノニマスな存在であることの心地よさも確かにある。 各時代の良い所をどうやって組み合わせていけるかだなぁ