2020年6月26日

一日の終わりに、やりきった感を求めない方が良いな。 そういう日は年に1日あれば良い。 元旦がそういう日に向いてるな。 もっと何かできたのではっていう気持ちが寝る時間を遅くさせるね

どこでもできるわけではない表現をする人のことが気になっている。 僕は絵を描いていて、 それはかなりミニマルでポータブルな行為だ。 この場所ではできないっていうことはあんまり無い。 どうしても紙が手に入らないとか。

場所に依存する表現をする人はどう考えているのかを想像したことがないことに気づく、 でも普通? は場所や環境がすごく問われる。 あと、誰かがいないとダメとか。 被写体になる人であれば写真を撮る人がいるわけだし。 一番すごいのは映画だな。 環境無くして作れないのである。 そういう表現をする人はそうでない時間をどうやって過ごしてるのかな!

自分は作る以外の生活の要素を軽く見てた気がする。 散歩だってゴロゴロするのだって大切な時間。

2020年に生産したい人がぶつかってる問題,,,現代は、 モノ作りすぎちゃったけどどうしましょうか っていう状態だと思っている。 人口より音楽の数の方が多くて、洋服の数の方が多くて、、

それをどういう風にシェアしていくかのスタイルが生まれてきたし、今もどんどん生まれている。

そんな中、自分の、ガンガン絵描こう、プリントしてこういうのを作ろうかなとか、そういった考えはちょっとずれてる感じもある。 う〜ん。これは昔から思ってるけれど答えが中々でないなぁ。

物は余っているけれど自分は物を作りたいっていう矛盾。 ゴミを使ってオブジェにするとかだったら自分の中で解決感はあるな。 面白そう。 自己完結。

そんな考えの流れから、物質を生み出すわけではないけれど、作る人達やその手法を考えている! 僕はできないのだけれど、選曲する人っていうのが気になるな。 世界にもう全てあって、それを繋げて聴かせていくっていう。 そういう意味ではDJやレゲエのセレクターの人は、自分の鑑賞の仕方を作ってそれをシェアするっていう気持ちがあるのかな。

そう考えると写真もそうだ。 レンズを向ける先の自然や、建物、人、空、地面、写真によるけれども、 自分の見方を見てもらうっていう。 結構、SNSの雰囲気は自分の見方をシェアしようっていう考えが根っこにある気がする。自分も含めて。 「何かを見た」っていうことを見てもらう

それ自体は明るいことでも暗いことでもないけれど、良いと悪いはなんとなくある。 なんでも良き人になりたいですな