2020年5月26日

まだまだ、今日一日はこれからっていう時ではあるが、日記。 日記というのは一日の終わりに書くものなのかなぁ。 はじまりに書くか終わりに書くかで違うものになる気もする。

まぁこのテキストは今思いついたことを書いていくだけだし、今日は何をしたとかそういうことはあんまり書かないので、日記とは呼び難いかもしれない。個人的な散文がオンラインの空間にぽつんとあるっていう

モチーフを描く絵を最近ずっとやっていなくて、これからまたやりたい。なんというか、飽きてしまったところにもう一回ズームして面白さを見つけていく。そうやって沢山の人が暮らしているのだろうし。 その為に、興味をいくつかの視点にわけて持つことが大切になるな。 自分はかなり大雑把に見る癖がある 「ガラスのコップ」で終わってしまう ガラスというものが一体何なのかは良く分からないし、コップはコップでしょと終わらせられる所にも、もっとズームできる要素がある。 ただ、いつもそんな調子だととてもやっていけないので、なんとなく無視する時間と、考えてみる時間を作ることにしてみる。 というか普段はガラスのコップだけで良いのだ。単純にコップと呼んでも良いかもしれない。 考えてみることには写真を撮ったり絵を描いたりする時間がうってつけだと思う。

あと、形状的なこともそうだけれど、そのモチーフが持っている、もしくは持っていた社会的な機能にも着目。 タトゥーの文化にはそういう所があるな。だから格好良いという風にも思う。 「形と色」でなくて、「思いと形と色」になっている 「思い」の部分は別の言葉が当てはまることもあるかもしれない。呪術的なことだったり、信仰だったり。

こないだドットというタトゥーメディアで見た伊藤さんという人は、ふくろうを首に入れていた。ふくろうを漢字で書くと、「梟」だが、 当て字で書くと「不苦労」になる。苦労しないよ!っていう思いを込めてるという。めちゃめちゃカッコイイ。 しかも、日本語で考えるからできる表現でもあるのだ。ふくろうのことをふくろうって呼ぶのは日本語を話す人だけだ。絵でありながらその後ろに言葉で遊ぶ心が含まれてる。

今日の朝は詩の勉強をした。 色んな名前を覚えた。エミリ・ディキンソンというアメリカの詩人と、クリスティーナ・ロセッティというイギリスの詩人が同じ1830年生まれの女性詩人 昔の海外の詩は、2020年のあんまり教養無い自分が楽しむのは難しいのですが、この2人はとてもひっかかる。 もっと勉強してみたい。 そこから解釈したタトゥーをデザインして自分の身体に彫ったりするのもやってみたいな