2020年11月6日

見えているものから何かを思う、もしくは思わない それは人それぞれ経験してきたことや考えてきたことによって違う。 自分が見ても特に何も思わないことに情熱を傾けている人がいれば、またその逆もある。

カーテンを閉めて部屋の電気を消して暗闇に包まれる。 見えないということから何かを思う、もしくは思わない,,,

今ほど暗闇に癒されている時は無い。 布団の上で身体を丸く屈めると胎児になったような気分になる。 ぬくぬく、ごろごろ。 馬鹿にされがちな四文字で表現されることに助けられてる。 安易にいうと、心の充電だ。 布団がコンセント。

そんな感じでごろごろしながら書いている初めての日記。部屋は暗くて光源はパソコンの画面とタイピングしやすいように少し光らせたキーボード。 音は遠くで車が走る音が僅かに聞こえる。すると、タイピングする音がすごく大きな音に感じる。 静かな世界の轟音といった感じだ。

絵を描くので自分の美学みたいなものを今一度見つめ直そう!! なんて2日間くらい思っていたのに結局全く見つめ直していない。 あぁ無駄な2日間。

あれ、この日記で見つめ直せば良いのか。 2日間を取り戻そう。

ここ最近日記が短めだったので、言葉が溜まっているような感覚がある。

見る絵というより読む絵にしたいということ

私的、詩的であるということ

ミニマルな手触りを持たせたいな

職人仕事では無くてアツい素人に

相反する感情を持っていること,,,

などなど。自分が作るっていうことに対してどういうイメージを持っているのかはふわふわとで良いから理解していたい。 読む絵 というのは自分の中からでてきた良いワード。 「見る」という風に考えるとなんかうまくいかなくなる所がある。 変にバランスをとろうとしてしまうというか。「読む」という言葉には続いていくような響きがある。 2ページ以上あるから読むことができる。 続きをめくる。続きをめくる。続きが続く。

そういえば読むと続くはどっちも「売」という字がつくな。まぁ関係無いか。

あとは、私的であること。もう十分すぎるほど私的なのだが、、 それで良いじゃんっていう。 僕はもう少し、「個人的な事情」の立ち位置を押し上げたい。 事情じゃなくて感情でも行動でも良いのだけれど。  

私的が詩的で無いことはあるけれど 詩的は私的でしかありえない

ミニマルな手触りっていうのは、引っ越し作業中に感じたこと。自分の理想に気づいたというのかな。 レコードみたいなプロダクトが好きだ。カセットテープとか。 合理的な部分がありつつ手触りがあるというか。

自分の場合、大きい絵画的なものは面食らってしまう。 そこにはプリントでもデータでもない熱量があって、手触りも勿論、レコードのジャケットや盤面のような印刷物でも無いので、 ある わけだけど、その、 ある 感じをどういう風に活かしたら良いのかがわからない。 そんなわけでプリンター。買いました。金が無くなるな。

職人仕事ではなくてアツい素人にというのは言わずもがな。 こんなまとまらない散文を書いている人が職人気質なはずもなく。 ただ、キラリと光るような所は誰にだってあるんだなぁ。 光っていこう