長野に行ってから、タバコが吸いにくい。のどにひっかかるという感じ。今日は3回くらい、赤ちゃんのやる、ウェッ  ってやつになっている。これがやめ時だからやめよう。 水飲むとちょっと治るよ。だからなに。

さいしょのほうのパンクをたくさん聞いた。何が音楽じゃーと思いながら音楽をする感じ。 ダダ、DADAって感じもある。ダダイストは評論家をこまらせた。もはやそれでもって成功したいかどうかすら怪しかったのだし、評論家を馬鹿にしはじめたからだ。「自分なりにうまくいきたい」みたいなアイディアはこのあたりから生まれているのかな。 ただインターネットのせいでダサくなってるな。

merzbowはじめてちゃんと聴いた。こういう音楽こそ、シドバレットがいうような、音で絵を描くって感じがある。AメロBメロサビ っていうのは絵とはちょっと違うんじゃない。よくわからないけど。
絵は6枚描いた。抽象と具象の間を、ずっとさまよっている感じがある。それで、結構調子良い。そういえばこないだ、自分の絵を見返す機会があって、すごく適当に見えたから、久し振りにデッサンをしてみたが、全然だめだった。だめというか、そこに対する根気がないのだ。バックパックのデッサンを描いていた。楽しいのは最初の10分くらいで、すぐにどうでもよくなる。練り消しなんか使って本物と見紛うようなものが描けたことを想像しても、だからなにとしか思わないのだ。結局のところ、だからなに(so what)は、どんな言葉の最後にもつけることができる。  それでも、そのso whatをふっとばすくらい楽しかったり、興奮するようなことならできる。そうでないものはできない。 そうするとおのずと選択肢は絞られていく。

RASTAFARIDDIMの究さんが、guidanceって言葉を使っていたのを思い出す。ひと筆目に二筆目が導かれる。それがずっと続く。 そこまで分解しなくても、ひとつきめて描いたモチーフから二つ目のモチーフが導かれる。 究さんのハイルセラシエの絵は、ハイルセラシエというモチーフから、地球、木、へと続いたのだという。 こんなこと文章で書いてもってかんじだけど、、、
とにかく24歳は、視覚的なものに集中して作っていこう。最近、覚醒への旅–瞑想者のガイドブック 読んだ。
瞑想者はとらわれをなくす為に瞑想しているが、瞑想することにとらわれているじゃないか。とも思ったけれど。何も信じない人は何も信じないことを信じているじゃないか。 でもそんなメタ的なことを言っても、鏡に鏡映すようなことだ。ずっとずっと鏡が続く。 そんなことグダグダ考えてないで絵を描いてあそぶ。