東ドイツのファッションに関する空想

何か、色を使って何かやりたいとか、形で表したいと思うわりには、色がこういう色で、こんな形をしていて、みたいなことをすっかり忘れてしまう。 人の顔とか、道を覚えるのもとても苦手だ。 道は特に苦手だな。 感覚というのは比較によってわかるもので、一回行った道をやすやすともう一回行ける人を見ることで、そして自分は行けないことに気づくことで苦手だということがわかる。

建物があった。印象に残った。 として、その印象というのを説明するのに、こういう理由でその建物に辿り着いた、その建物の周りにはこういう景色があって、そこを歩いている人達はこんな感じだった、良く見ると違う人もいて、気になった私は聞いてみるとなんとこういう理由なのだという。その背景を知った私は、昔住んでいた所との共通点がわかってきて,,,

みたいな感じになってしまい、おいおい大丈夫なのかという、ていうか、建物があった。印象に残った。からはじまってそれは無いだろと思った周りの人が、もしくはひたすら単純にピュアな意見を述べることに対する自己批判の精神がしびれを切らし、  で、その建物にはどうやって行けば良いの? と、どんな扉で、どんな窓なのか、どんな色をしているのか と聞かれる。

すると、方向音痴であり、形状や色などの純粋なものに対して頓珍漢な僕は、道はGoogle mapで調べるしか無いし、 言葉としても、あぁ、雰囲気のある建物でした、扉はわからないし、窓はあったかもしれないし、なかったかもしれない、色は緑だった気がするな、いや、青だったかもしれない、近くにセブンイレブンがあって,,,

という具合である。 もしかするとここの、これを観察と呼ぶとして、この解像度は上げることができるのかもしれない。上述した観察法を仮に、「Aを観察すると、A〜Fを知ることになる。」という状態だと仮定すると、、 あぁ止めよう。

タイトルと全く関係無い文章になってしまった。